管理セクション
福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
P0014
資料群名
武田小太夫家文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡上野木村,野木村上野木,若狭町上野木(上中町)
資料の年代
1623年(元和9)~年未詳
資料目録件数
263
組織歴および履歴
上野木村は北川の中流右岸の平地に位置し、西は太良庄村へ、北は宮川谷へ通じ、隣に下野木村があった。小浜藩領で村高は「正保郷帳」では553石余、「天保郷帳」では568石余であった。「正保郷帳」や「天保郷帳」では上野木村と下野木村の2村とするが、寛文頃には下野木村から中野木村が離れており、合わせて「野木3か村」といわれることもあった。
武田家は上野木村にあって代々庄屋などを務めた。
武田家は上野木村にあって代々庄屋などを務めた。
資料群の概要
当家の文書は260点余りであり、そのほとんどが近世文書である。
近世文書は(1)土地、(2)貢租、(3)争論、(4)救恤、(5)村方、(6)売券・借用証文、(7)その他に分類される。
(1)には1623年(元和9)の「七屋村田地差縺ニ付願書」がある。これは知行地における争論であるが、京極氏における地方支配の一端を示すものとして興味深い。
(2)には1638年(寛永15)以降の免状などがある。また、1725年(享保10)の「野木組九か村土免願」等の資料からは享保期から寛政期にかけての小浜藩における土免法の実体がわかる。
(3)には川普請に関する杭野柴の伐採地をめぐる野木3か村と池河内など松永谷8か村との争論がある。
(5)には1721年(享保6)に猪の出没に対して通り道に苧縄の網を張って捕らえることを14か村の庄屋が連名で藩に願い出た文書がある。
(7)には1718年(享保3)の「農作業等取調ニ付達」がある。これは農作業などについて藩が取り調べを行ったときの達で、これに対する返答書が辻本又右衛門家(P0047-00010)にある。また、1846年(弘化3)の「三十三歳祝儀覚帳」や55年(安政2)の「四十二役祝儀帳」などの厄年の資料、神事の祝儀帳などが残っている。
近世文書は(1)土地、(2)貢租、(3)争論、(4)救恤、(5)村方、(6)売券・借用証文、(7)その他に分類される。
(1)には1623年(元和9)の「七屋村田地差縺ニ付願書」がある。これは知行地における争論であるが、京極氏における地方支配の一端を示すものとして興味深い。
(2)には1638年(寛永15)以降の免状などがある。また、1725年(享保10)の「野木組九か村土免願」等の資料からは享保期から寛政期にかけての小浜藩における土免法の実体がわかる。
(3)には川普請に関する杭野柴の伐採地をめぐる野木3か村と池河内など松永谷8か村との争論がある。
(5)には1721年(享保6)に猪の出没に対して通り道に苧縄の網を張って捕らえることを14か村の庄屋が連名で藩に願い出た文書がある。
(7)には1718年(享保3)の「農作業等取調ニ付達」がある。これは農作業などについて藩が取り調べを行ったときの達で、これに対する返答書が辻本又右衛門家(P0047-00010)にある。また、1846年(弘化3)の「三十三歳祝儀覚帳」や55年(安政2)の「四十二役祝儀帳」などの厄年の資料、神事の祝儀帳などが残っている。
県史収載
資料編9 P.796-813 13点、通史編4 P.223・466・754
県史以外の収載
「若狭国古文書所在目録(五)」(『若狭』第八号』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
撮影下限明治期
複製本番号
P0070~P0076
関連資料一覧
縮小画像の表示/非表示
表示
件
表示順