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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0528
資料群名
前野治良太夫家文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡加茂村,宮川村加茂,小浜市加茂
資料の年代
1317年(文保1)~1873年(明治6)
資料目録件数
137
組織歴および履歴
加茂村は宮川谷南部に位置し、西に野木山がそびえる。集落は由里谷・高森・高屋・小北・大戸などに分かれる。地名の由来は1090年(寛治4)に京都賀茂別雷社領となったことによる。小浜藩領で村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに1241石余。
前野氏は賀茂荘の名主であり、近世には庄屋を務めた。
2025年1月、若狭歴史博物館に寄贈。
前野氏は賀茂荘の名主であり、近世には庄屋を務めた。
2025年1月、若狭歴史博物館に寄贈。
資料群の概要
当家の文書は約130点余である。
中世文書は1317年(文保1)以降10点余りある。1536年(天文5)の「賀茂荘惣公田田数注文」からは61町余りの賀茂荘が「まえ分」など有力農民の持分や、惣分・為生寺分などから構成されていたことがわかる。この「まえ分」とされる耕地が当家の持ち分で、その内容は「賀茂荘名寄帳」を参照すると、いくつかの名田の耕地などを集めたものであり、この集合耕地全体に対する権限が74年(天正2)の「賀茂別雷神社社家名職等安堵状」から「前名職」と称せられていたことがわかる。このように当家文書は戦国末期の村落や土地制度を知る上で極めて示唆に富む。
近世文書約120点は(1)土地、(2)貢租、(3)売券・借用証文、(4)その他に分類される。
(1)には1672年(寛文12)の「加茂土地水帳」がある。これは酒井氏の入部した34年(寛永11)の加茂村の村高を示し、正保郷帳の高と一致する。また加茂村が高森・高屋・大戸などの集落に分かれていたことがわかる。
(2)は年貢免状や勘定目録など。また1652年(慶安5)の「堤村検見ニ付一札」は検見について隠し田などをしない旨をしたためた百姓側の一札である。
(3)のうち寛永期から元禄期にかけての売券は1690年(元禄3)の「買申田地之覚」につながるものである。
(4)では加茂社の年中神事がわかる資料がある。
中世文書は1317年(文保1)以降10点余りある。1536年(天文5)の「賀茂荘惣公田田数注文」からは61町余りの賀茂荘が「まえ分」など有力農民の持分や、惣分・為生寺分などから構成されていたことがわかる。この「まえ分」とされる耕地が当家の持ち分で、その内容は「賀茂荘名寄帳」を参照すると、いくつかの名田の耕地などを集めたものであり、この集合耕地全体に対する権限が74年(天正2)の「賀茂別雷神社社家名職等安堵状」から「前名職」と称せられていたことがわかる。このように当家文書は戦国末期の村落や土地制度を知る上で極めて示唆に富む。
近世文書約120点は(1)土地、(2)貢租、(3)売券・借用証文、(4)その他に分類される。
(1)には1672年(寛文12)の「加茂土地水帳」がある。これは酒井氏の入部した34年(寛永11)の加茂村の村高を示し、正保郷帳の高と一致する。また加茂村が高森・高屋・大戸などの集落に分かれていたことがわかる。
(2)は年貢免状や勘定目録など。また1652年(慶安5)の「堤村検見ニ付一札」は検見について隠し田などをしない旨をしたためた百姓側の一札である。
(3)のうち寛永期から元禄期にかけての売券は1690年(元禄3)の「買申田地之覚」につながるものである。
(4)では加茂社の年中神事がわかる資料がある。
県史収載
『福井県史 資料編9 中・近世七』P.530-539 14点、『福井県史 通史編2 中世』P.582・792
県史以外の収載
「若狭国古文書所在目録(二)』(『若狭』第五号)、『小浜市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
O0905~O0909
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