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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0517
資料群名
常高寺文書
地域(近世,行政村,現在)
小浜町,小浜町浅間,小浜市小浜浅間
資料の年代
1630年(寛永7)~1863年(文久3)
資料目録件数
559
組織歴および履歴
常高寺は臨済宗妙心寺派の寺院。常高院が夫京極高次の菩提を弔うため1630(寛永7)槐堂和尚を開基として創建した。
常高院は浅井長政の娘で名は初(豊臣秀吉側室淀君の妹)。京極高次の夫人となり、1604年(慶長14)高次が没すると出家して常高院と号した。初は1598年(慶長3)、豊臣秀吉から化粧料として近江国蒲生郡内の2,040石余を与えられた。1633年(寛永10)常高院死去後も一部は京極家に引き継がれ、翌34年同郡内長田村のうち110石が京極忠高によって常高院に寄進され、38年にはさらに同村内300石が徳川家光によって寄進され、以降江戸時代を通じて常高寺領となった。
常高院は浅井長政の娘で名は初(豊臣秀吉側室淀君の妹)。京極高次の夫人となり、1604年(慶長14)高次が没すると出家して常高院と号した。初は1598年(慶長3)、豊臣秀吉から化粧料として近江国蒲生郡内の2,040石余を与えられた。1633年(寛永10)常高院死去後も一部は京極家に引き継がれ、翌34年同郡内長田村のうち110石が京極忠高によって常高院に寄進され、38年にはさらに同村内300石が徳川家光によって寄進され、以降江戸時代を通じて常高寺領となった。
資料群の概要
当寺の調査資料はすべて近世のものであり、(1)寺領関係、(2)貢租、(3)消息類、(4)住職等の委嘱状、(5)借用証文・売券、(6)その他がある。
(1)には1630年(寛永7)の京極忠高判物をはじめとして酒井氏歴代の寺領安堵状、将軍家からの朱印状写しがある。
(2)は前述の将軍家から安堵された所領である近江国蒲生郡長田村の年貢上納覚・物成目録であり、1752年(宝暦2)-1861年(文久1)にわたって残され、とりわけ1769年-1838年(明和年間から天保年間にかけて)は連続している。
(3)には槐堂和尚宛の常高院自筆の書状をはじめ、遺言状の写し、侍女しん大夫の書状、酒井家からの礼状・挨拶状などがあり、とくにしん大夫の書状は京都および大坂から小浜在住の朋輩に当てて送られたものであり、春日局に随従して上洛したときの様子や春日局・僧天海の死去などとともに、愛猫の出産など細やかな内容が記されていて興味深い。
(4)は1643年(寛永20)をはじめとして6通の綸旨などが含まれる。
(6)は寺送り状、当寺の由緒書・縁起類など。
否撮カードは42枚、仏教関係の書籍、四書、過去帳、仏画など。
(1)には1630年(寛永7)の京極忠高判物をはじめとして酒井氏歴代の寺領安堵状、将軍家からの朱印状写しがある。
(2)は前述の将軍家から安堵された所領である近江国蒲生郡長田村の年貢上納覚・物成目録であり、1752年(宝暦2)-1861年(文久1)にわたって残され、とりわけ1769年-1838年(明和年間から天保年間にかけて)は連続している。
(3)には槐堂和尚宛の常高院自筆の書状をはじめ、遺言状の写し、侍女しん大夫の書状、酒井家からの礼状・挨拶状などがあり、とくにしん大夫の書状は京都および大坂から小浜在住の朋輩に当てて送られたものであり、春日局に随従して上洛したときの様子や春日局・僧天海の死去などとともに、愛猫の出産など細やかな内容が記されていて興味深い。
(4)は1643年(寛永20)をはじめとして6通の綸旨などが含まれる。
(6)は寺送り状、当寺の由緒書・縁起類など。
否撮カードは42枚、仏教関係の書籍、四書、過去帳、仏画など。
県史収載
資料編9 P.298-303 9点、通史編2 P.852、通史編3 P.633・P.660・P.661・P.663、通史編4 P.472、通史編5 P.966
県史以外の収載
『小浜市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
O0810~O0821
関連資料一覧
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