明通寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0516
資料群名
明通寺文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡門前村,松永村門前,小浜市門前
資料の年代
1314年(正和3)~1940年(昭和15)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
松永村は松永川上流左岸に位置する。小浜藩領で、村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」で138石余、「天保郷帳」で149石余。
明通寺は山号棡(ゆずり)山、真言宗御室派寺院で、縁起によれば9世紀はじめ、坂上田村麻呂により創建されたと伝える。かつては25坊を数える大伽藍であったが、数度に及ぶ火災によって現在本堂・三重塔(いずれも国宝)・客殿・仁王門・弁天堂・宝蔵・鐘楼・庫裏などを残すのみである。
資料群の概要
当寺の調査文書363点のうち、中世文書は119点、近世文書は241点、近代文書は3点である。また、既に流出した文書も多く、福井県史資料編では現蔵文書の他に64点の旧蔵文書を掲載している。
中世文書では(1)幕府・守護・大名等との結びつきを示すもの、(2)所領関係を示すもの、が多数を占める。鎌倉期には当寺は国衙から1町8反の免田が与えられているほか、松永保(荘)の地頭・領家なども所領を寄進している。また、室町期を通じて守護・大名等の崇敬をうけ、斯波氏・細川氏等の祈祷巻数返事があるほか、武田氏からは祈願寺として諸役免許の禁制をうけている。
このほか、1420年(応永27)の「明通寺茶園出茶配分注文」では、この時期に明通寺近辺で茶の栽培が行われたことを示す。
近世文書は(1)判物、(2)本山からの達・触状、(3)おろし地関係、(4)普請関係、(5)借用証文・売券、(6)その他、に大別される。
(1)は酒井家藩主代々の判物で、年3石2斗8合の寄進をうけ、山林諸役等の免許をうけていたことがわかる。
(4)には1702年(元禄15)の「塔普請縄帖」があり、三重塔の普請に際して、門前村はもとより、池河内・三分一・四分一・太興寺・遠敷・高塚などの村から縄・布・銭の寄進をうけていることがわかる。
(6)としては、元禄年間前後に当寺が別当をつとめていた関係で、国分寺の供養関係・記録帳などが残されている。この他多くの記録類があるが、表紙のみ撮影となっているものも多い。
近代文書は明治期の地所覚、台帳(これは表紙のみ)、1940年(昭和15)筆写の縁起である。
否撮カードは18枚、塔修復関係、略縁起など。
利用条件
 
県史収載
資料編9 P.559-656 178点、通史編1 P.24・P.25・P.859、通史編2 P.179・P.183・P.208・P.212・P.223・P.246・P.259・P.329・P.330・P.363・P.366・P.368・P.394・P.485・P.502・P.503・P.535・P.537・P.540-542・P.566・P.575・P.594・P.635・P.679・P.689・P.691・P.693-696・P.702・P.703・P.721・P.783・P.788・P.792・P.838・P.850・P.851・P.922-929・P.932・P.933・P.935・P.937-940・P.953・P.954・P.959・P.960・P.969-P.972、通史編3 P.632・P.638・P.661
県史以外の収載
『小浜市史』『越前若狭古文書選』『若狭遠敷郡誌』
複製本番号
O0787~O0797
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。