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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0510
資料群名
廣嶺神社文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡上竹原村,雲浜村上竹原,小浜市千種
資料の年代
1588年(天正16)~1869年(明治2)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
上竹原村は北川下流と南川下流に挟まれた地にある。古くは竹原村といい、小浜藩領。村高は「正保郷帳」で461石余、「元禄郷帳」で494石余、「天保郷帳」で535石余。
廣嶺神社は貞観年中(859-77)勧請と伝えられる牛頭天王などを祀る神社である。当社のあった地は中世には竹原(たわら)と称され、そこには天神社もあった。のちこの天神社は当社の境内社となったため、その関連文書も当社に伝わる。
廣嶺神社は貞観年中(859-77)勧請と伝えられる牛頭天王などを祀る神社である。当社のあった地は中世には竹原(たわら)と称され、そこには天神社もあった。のちこの天神社は当社の境内社となったため、その関連文書も当社に伝わる。
資料群の概要
調査資料は32点。うち中世文書は5点、近代文書1点、残りは近世文書である。
中世文書はいずれも天神社領に関するもので、浅野・木下・京極氏などがいずれも10石を寄進していることを示すもので、これは酒井氏にも受け継がれ、代々の藩主が寄進状を与えている。
近世文書は(1)藩主の寄進状、(2)神道裁許状、(3)普請関係、(4)貢租関係、(5)その他、がある。
(1)は前述の通り、京極忠高および酒井家11名の藩主の寄進状で、いずれも天神社宛となっている。
(3)は1823年(文政6)の門・塀普請願。
(4)は1822年(文政5)・38年(天保9)・48年(嘉永1)の上竹原村の免状。
(5)には当社の縁起・切支丹改連判帳・神道に関する誓文などがある。
近代文書は1869年(明治2)の年貢免状のみ。
中世文書はいずれも天神社領に関するもので、浅野・木下・京極氏などがいずれも10石を寄進していることを示すもので、これは酒井氏にも受け継がれ、代々の藩主が寄進状を与えている。
近世文書は(1)藩主の寄進状、(2)神道裁許状、(3)普請関係、(4)貢租関係、(5)その他、がある。
(1)は前述の通り、京極忠高および酒井家11名の藩主の寄進状で、いずれも天神社宛となっている。
(3)は1823年(文政6)の門・塀普請願。
(4)は1822年(文政5)・38年(天保9)・48年(嘉永1)の上竹原村の免状。
(5)には当社の縁起・切支丹改連判帳・神道に関する誓文などがある。
近代文書は1869年(明治2)の年貢免状のみ。
県史収載
資料編9 P.505 3点
県史以外の収載
『小浜市史』『越前若狭古文書選』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
O0775
関連資料一覧
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