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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0131
資料群名
芝田喜左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡金屋村,遠敷村金屋,小浜市金屋
資料の年代
1320年(元応2)~1899年(明治32)
資料目録件数
365
組織歴および履歴
金屋村は北川支流遠敷川中流右岸に位置する。小浜藩領。村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」ともに65石余、「天保郷帳」では66石余。地名の由来は、中世後期以来当地が若狭地方における鋳物師(鍋屋仲間)の活動の拠点を形成していたことによる。
芝田家は金屋鋳物師25人中の一家で喜左衛門を称した。
芝田家は金屋鋳物師25人中の一家で喜左衛門を称した。
資料群の概要
当家の360点余の文書は10点ほどの芝田孫左衛門家(O0520)所蔵の中世文書の写を含めて大半が鋳物師関係のものである。
近世文書は(1)鋳物師関係、(2)救恤、(3)売券・借用証文に分類される。
(1)では金屋鋳物師の由緒書、鋳物座定書、免許状、端釜・釣鐘注文状および値段書、代金受取状、道具帳、吹屋職座貸付証文および貸付に関する争論、奉公人関係などがある。
金屋鋳物師仲間は戦国期以降領主の保護を受け、若狭国で独占的な活動を行ったが(芝田孫左衛門家参照)、江戸時代に入っても若狭国内での鋳物の製造・販売を独占した。しかし経営は必ずしも順調ではなかったらしく、実際には他国鋳物師などに吹屋を貸し付け、その製品の販売のみを行うことも多かったようである。1697年(元禄10)の「吹屋定状之事」は金屋に屋敷を借りて吹屋職を預かっていた2名に対し、吹屋復興の功績により改めて彼らを仲間に入れる旨を定めた連判状である。また、1700年(元禄13)の「金屋村弥左衛門吹屋貸付ニ付願書」は吹屋貸し付けの最初のものである。
また、鋳物仲間から吹屋職を貸していた近江の国松六左衛門の親類という小浜の釜屋六左衛門との間に起こった貸吹きをめぐる出入に関わる一連の文書がある。
さらに、1828年(文政11)・38年(天保9)・59年(安政6)の「吹屋道具帳」からは鋳物を吹くのに必要とされる様々な道具類を知ることができる。
(2)は天保飢饉の際の拝借米願いなど。
近代文書は敦賀県布達綴写や区費徴収簿、学校費等など。
否撮カードは近代の郵便規則布達写や区費目録など9点。
近世文書は(1)鋳物師関係、(2)救恤、(3)売券・借用証文に分類される。
(1)では金屋鋳物師の由緒書、鋳物座定書、免許状、端釜・釣鐘注文状および値段書、代金受取状、道具帳、吹屋職座貸付証文および貸付に関する争論、奉公人関係などがある。
金屋鋳物師仲間は戦国期以降領主の保護を受け、若狭国で独占的な活動を行ったが(芝田孫左衛門家参照)、江戸時代に入っても若狭国内での鋳物の製造・販売を独占した。しかし経営は必ずしも順調ではなかったらしく、実際には他国鋳物師などに吹屋を貸し付け、その製品の販売のみを行うことも多かったようである。1697年(元禄10)の「吹屋定状之事」は金屋に屋敷を借りて吹屋職を預かっていた2名に対し、吹屋復興の功績により改めて彼らを仲間に入れる旨を定めた連判状である。また、1700年(元禄13)の「金屋村弥左衛門吹屋貸付ニ付願書」は吹屋貸し付けの最初のものである。
また、鋳物仲間から吹屋職を貸していた近江の国松六左衛門の親類という小浜の釜屋六左衛門との間に起こった貸吹きをめぐる出入に関わる一連の文書がある。
さらに、1828年(文政11)・38年(天保9)・59年(安政6)の「吹屋道具帳」からは鋳物を吹くのに必要とされる様々な道具類を知ることができる。
(2)は天保飢饉の際の拝借米願いなど。
近代文書は敦賀県布達綴写や区費徴収簿、学校費等など。
否撮カードは近代の郵便規則布達写や区費目録など9点。
県史収載
『福井県史 資料編9 中・近世七』P.256-259 4点、『福井県史 通史編4 近世二』P.379・P.380
県史以外の収載
『小浜市史』、松崎利夫「若狭金屋鋳物師談」『若狭』27・32
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
O0505~O0517
関連資料一覧
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