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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0121
資料群名
長井健一家文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡小浜城下,小浜町,小浜市小浜白鬚
資料の年代
1479年(文明11)~1939年(昭和14)
資料目録件数
506
組織歴および履歴
長井家は江戸時代初期までは武家で、年代不詳の「七まがりふく書状」には「物かきなか井すけひやうへ」とあり、助兵衛は豊臣秀吉の右筆を務めていたことがわかる。その後組屋・桑村家とならぶ小浜の有力商人となり、しばしば町年寄なども務めた。明治以降も綿・布団などの営業を続け、現在も営業中である。
資料群の概要
当家の中世資料は20数点、近世資料は約70点、残り約400点が近代資料である。
中世資料では所領に関するものが多い。1584-85年(天正12-13)には丹羽長秀・山田高定の宛行状があり、それぞれ291石余・300石の知行が認められている。また、年不詳の浅野長政書状では小浜で屋敷地を給されたことがわかる。
この他、豊臣秀吉朝鮮出陣人数書は文禄の役での軍勢配置を記し、県史20号・21号文書の浅野長政書状・直江兼続書状では秀吉の命によって浅野長政が越後・佐渡の銀鉱を調査したことが分かる。また、県史11号文書の豊臣秀吉朱印状は、どこの国に関するものかは不明だが、検地後の具体的な措置を記している。
近世資料はほとんどが京極氏及び酒井氏からの諸役免許状・その写しであり、そのほかには進物に対する礼状、大石内蔵助の直筆とされる資料(青柚漬ノ覚)、幕末期の大福帳などがある。
近代資料は明治期から大正期にかけての大福帳、納税金出納簿など、昭和期では取引先からの仕切書、請求書、当時保有していた株式関係(営業報告書・配当金の通知・株主総会の案内・投資情報など)、1939年(昭和14)頃の配給に関する通知などがある。
県史収載の「武田元信書状」(2号文書)は見あたらなかった。また、第一次調査分(複製本O0890-0891)には文書番号が付いていなかったので、調査順とは逆になるが、第二次調査分の文書番号に続けて番号を付した。
否撮カードはない。
中世資料では所領に関するものが多い。1584-85年(天正12-13)には丹羽長秀・山田高定の宛行状があり、それぞれ291石余・300石の知行が認められている。また、年不詳の浅野長政書状では小浜で屋敷地を給されたことがわかる。
この他、豊臣秀吉朝鮮出陣人数書は文禄の役での軍勢配置を記し、県史20号・21号文書の浅野長政書状・直江兼続書状では秀吉の命によって浅野長政が越後・佐渡の銀鉱を調査したことが分かる。また、県史11号文書の豊臣秀吉朱印状は、どこの国に関するものかは不明だが、検地後の具体的な措置を記している。
近世資料はほとんどが京極氏及び酒井氏からの諸役免許状・その写しであり、そのほかには進物に対する礼状、大石内蔵助の直筆とされる資料(青柚漬ノ覚)、幕末期の大福帳などがある。
近代資料は明治期から大正期にかけての大福帳、納税金出納簿など、昭和期では取引先からの仕切書、請求書、当時保有していた株式関係(営業報告書・配当金の通知・株主総会の案内・投資情報など)、1939年(昭和14)頃の配給に関する通知などがある。
県史収載の「武田元信書状」(2号文書)は見あたらなかった。また、第一次調査分(複製本O0890-0891)には文書番号が付いていなかったので、調査順とは逆になるが、第二次調査分の文書番号に続けて番号を付した。
否撮カードはない。
県史収載
資料編9 P.421-438 45点、通史編2 P.957、通史編3 P.85・P.105・P.107
県史以外の収載
『小浜市史』『若狭遠敷郡誌』『越前若狭古文書選』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
閲覧できない資料あり。
複製本番号
O0890~O0891、O2459~O2485
関連資料一覧
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