羽賀寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0097
資料群名
羽賀寺文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡羽賀村,国富村羽賀,小浜市羽賀
資料の年代
835年(承和2)~1912年(大正1)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
本浄山羽賀寺は真言宗寺院。もとは天台宗青蓮院末に属したが、宝徳年間(1449-52)に真言宗東寺の末派になった。縁起によれば当寺は716年(霊亀2)、行基により創建され、元正天皇・村上天皇の勅願所であったという。朝廷や守護からは田畑の寄進や伽藍の再興などの保護を受け、出羽国安倍氏(秋田氏)との関係も知られる。16世紀には守護武田氏により祈願所とされ、江戸時代は酒井氏から年々合力米の下付を受けている。
資料群の概要
実質調査文書245点中、9世紀・10世紀の文書が6点ある。村上天皇の綸旨と荘園目録・空海の遺告であるが、いずれも後世の写しである。
中世文書は70点。主な内容は寺領の寄進や安堵に関するものであり、天文年間(1532-55)頃までのものは税所今富名内竹原天満宮供僧職関係のものが多い。同天満宮は1366年(貞治5)に6口の供僧職がおかれたが、この所領をめぐり天満宮祢宜と当寺が争い、結局当寺が支配する流れを見ることができる。また、天文期以降では武田氏関係の文書が見られる。武田信豊が1540年(天文9)当寺を祈願所として以来、両者の関係は深く、信豊が惣領義統と対立した際も、無事に解決するよう当寺に祈祷を頼み、首尾よく解決すると彼は多聞院という院号を与えて労に応えている。
さらに県指定文化財の「羽賀寺年中行事」には当寺の寺領・年中行事が詳細に記されており、これは1690年(元禄3)まで歴代住持によって書き継がれている。
近世文書は(1)領主の禁制・判物、(2)書状類、(3)その他、に分類される。
(1)は京極氏・酒井氏歴代藩主の禁制・免除状・合力米下付状である。合力米は毎年江戸枡で9石2斗3升余が与えられている。
(2)では秋田氏の書状が多く見られる。縁起によれば当寺は何度か火災に遭っており、1435年(永享7)の火災に際して、安倍康季が多額の私財を投じて再興したとあり、その子孫が秋田実季である。
実季もまた当寺の修造につとめたため、実季自身も住職との間に多くの書状をやりとりしていたが、それ以降も当寺と秋田氏は密接な関係を持ち続け、実季以降毎年50石の修復料が贈られることになった。のち秋田氏が三春に転封後、修復料は金子15両となっている。
(3)は縁起類である。
近代文書は1点のみ、1912年(大正1)の祠堂台帳である。
否撮カードは第1次調査分で4枚あるが、これも第2次調査時に撮影されている。
利用条件
 
県史収載
資料編9 P.442-496 68点、通史編2 P.3・P.259・P.292・P.434・P.485・P.535・P.543・P.581・P.594・P.635・P.679・P.680・P.690・P.704・P.710-712・P.717-719・P.721-723・P.791・P.844・P.851・P.926-929・P.931-933・P.935・P.957・P.958・P.961・P.962・P.969・P.970・P.972・P.1076、通史編3 P.58・P.661
県史以外の収載
『小浜市史』『日本思想体系20 寺社縁起』『続群書類従』『小浜・敦賀・三国湊史料』『越前若狭古文書選』
複製本番号
O0758~O0762、O1026~O1033
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。