安倍伊右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0078
資料群名
安倍伊右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡志積村,内外海村志積,小浜市志積
資料の年代
1191年(建久2)~1890年(明治23)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
志積浦は内外海半島の小浜湾に臨む浦である。小浜藩領で村高は26石余、1667年(寛文7)の家数16軒であった。
当家は判明する限りでは鎌倉時代初期には志積浦に居住しており、浦の刀祢職を襲継した。また、近世においても伊右衛門の名で庄屋を務め、明治初年には戸長も務めた。
資料群の概要
当家の実質所蔵文書120点中、中世文書は26点、近世文書は71点、近代文書は23点である。
中世文書は25点あり、鎌倉初期以降の刀祢職の継承を知ることができる。また、1280年(弘安3)の「志積浦地頭分年貢魚塩等注進状」では地頭の徴収する年貢として新お(塩)1石と記されている。また、後欠文書で年代不明であるが、鎌倉時代後期のものと考えられる「志積浦廻船人等申状案」では、当浦廻船人が三国湊で阿須羽(足羽)神宮寺勧進聖によって船中積み荷の米6石を「点定」(没収)されたとあり、天台座主や青蓮院門跡などから認められた特権を侵害されたと訴えており、当浦の廻船活動を示すものとして注目される。
近世文書は(1)触・高札の写し、(2)貢租、(3)漁業関係、(4)その他、に分けられる。
(2)には1659年(万治2)-1871(明治4)の年貢免状、拝借米願、などがあり、免状は1832年(天保3)以降がよく揃っている。耕地が少ない浦であるが万治2年の免状には「高八ツ」とあり、天保期以降は地改減1石8斗余、見捨5石余にほぼ固定され、年貢は17石9斗余、そのうち3石5斗余を大豆で納めるとある。
(3)では、生活の基盤である「うミ」は刀祢安倍家の持分と志積浦僧中の持分とに分かれ、種々の魚の網場が存在し、それらが売買や貸借の対象になったこと、また、それらをめぐって阿納浦と争論が起こったことなどが知られる。
近代文書は明治初年の年貢免状、網場関係の約定書、戸長辞令、売券などがあり、とりわけ約定書からは近世の網場の様子も推し量ることができる。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編9 P.3-20 36点、通史編2 P.81・P.137・P.171・P.187・P.221・P.309・P.431・P.840・P.854
県史以外の収載
『小浜市史』、小葉田淳「安倍家文書について」『若越郷土研究』20、同「中世若狭の廻船について」『日本海海運史の研究』
複製本番号
O0734、O0848~O0849、O1319~O1320
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。