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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0055
資料群名
小浜市立図書館(山岸家旧蔵)文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡小浜城下
資料の年代
1655年(明暦1)~1891年(明治24)
資料目録件数
360
組織歴および履歴
山岸家は、小浜酒井家家臣山岸次郎太夫の三男山岸十郎右衛門(-1830)を初代とする武家である。由緒書によれば十郎右衛門は1791年(寛政3)に17俵3人扶持で召し出され、江戸の宮田安左衛門の下で謙信流軍学を修行、以後軍学世話等を務めた。十郎右衛門の二男勘三(1821-)も1846年(弘化3)に謙信流軍学の免許を得、59年(安政6)4-10月京都組与力同心調練のための出京をはじめとして、62年(文久2)3-7月、12月-63年12月京都組与力同心調練世話、64年(元治1)1月-65年(慶応1)3月江戸勤番等を務めた。さらに68年1月からの北陸道鎮撫使先鋒に従軍している。勘三は湯川彦右衛門娘さととの間に1男5女をもうけ、74年(明治7)7月には西津村に居住していた。
なお、国学者伴信友は、山岸十郎右衛門の弟にあたる。
なお、国学者伴信友は、山岸十郎右衛門の弟にあたる。
資料群の概要
資料群は(1)家業であった軍学関係、(2)山岸家系図・由緒書類、(3)書状類から構成される。
(1)では1785年(天明5)-1854年(嘉永7)にかけての謙信流軍学免許状、初代十郎右衛門による写である「軍役持人御定書 小屋割并小荷駄積 家中指物覚」「御条目并覚書 軍役 御家中印之覚」、差紙類がある。
(2)では十郎右衛門は諸藩の山岸氏の出自について調査しており、関連の由緒書、自身の由緒書、親類書等が含まれている。
(3)では資料群の半数を占めるのは書状である。勘三の妻さとに宛てられたものがよく残存していると思われる。とくに京都あるいは江戸在勤の勘三から妻さとにあてた書状約50通がまとまっている。
見聞した種々の事件等の近況をはじめとして、任地での仕事のようす、自身の健康・衣・食・住環境、薬・反物など依頼された品物の購入送付、小浜にいる子どもの成長のようす等、多岐にわたり、細やかな内容となっている。これには北陸道鎮撫使先鋒の際に敦賀・福井・浅草から出された書状も含まれる。
また、親戚筋にあたる北条ふさから、さとやさとの実家である湯川家に宛てられた書状が約30通、明治期に入ってから、京都にいる勘三の長男勇吾から両親に宛てられたものが約20通含まれる。
否撮カードはない。
(1)では1785年(天明5)-1854年(嘉永7)にかけての謙信流軍学免許状、初代十郎右衛門による写である「軍役持人御定書 小屋割并小荷駄積 家中指物覚」「御条目并覚書 軍役 御家中印之覚」、差紙類がある。
(2)では十郎右衛門は諸藩の山岸氏の出自について調査しており、関連の由緒書、自身の由緒書、親類書等が含まれている。
(3)では資料群の半数を占めるのは書状である。勘三の妻さとに宛てられたものがよく残存していると思われる。とくに京都あるいは江戸在勤の勘三から妻さとにあてた書状約50通がまとまっている。
見聞した種々の事件等の近況をはじめとして、任地での仕事のようす、自身の健康・衣・食・住環境、薬・反物など依頼された品物の購入送付、小浜にいる子どもの成長のようす等、多岐にわたり、細やかな内容となっている。これには北陸道鎮撫使先鋒の際に敦賀・福井・浅草から出された書状も含まれる。
また、親戚筋にあたる北条ふさから、さとやさとの実家である湯川家に宛てられた書状が約30通、明治期に入ってから、京都にいる勘三の長男勇吾から両親に宛てられたものが約20通含まれる。
否撮カードはない。
県史収載
 
県史以外の収載
 
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
O0399~O0412
関連資料一覧
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