清水三郎右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0048
資料群名
清水三郎右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
遠敷郡本保村,宮川村本保,小浜市本保
資料の年代
1387年(嘉慶1)~1891年(明治24)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
本保村は本保と奥本保からなり、村内を本保川が流れる。西は山を越えて中世の太良荘域に接し、北は同じく山を越えて矢代浦に至る。近世の村高は624石余、家数は1807年(文化4)に51軒であった。
清水家は中世の宮川保以来この地の有力農民で、近世には代々三郎右衛門を名乗り、本保村の庄屋等を務めた。
資料群の概要
当家の中世文書は11点(後世の写し3点を含む)。「宮川保神田 堂田之事」は宮川保内に散在する神田と寺田の面積・分米・作人名等を記したもので、年未詳ながら中世末頃のものと思われる。また浅野長吉(長政)の掟書・浅野長吉奉行人定書は、彼が農政の基本とした法令で、作合否定を通じて直接作人を掌握しようとしていることがうかがえる。また木下勝俊の掟書にもこれと同様の条項がある。
近世文書では、(1)貢租・救恤、(2)村方騒動、(3)山論、(4)普請、(5)貸借証文、(6)その他、などに分けられる。
(1)では年貢免状24点(20点は17世紀、4点は19世紀)免割帳・砂入帳・検見願・拝借米願など。
(2)は寛永期(1624-44)以降、庄屋役をめぐって小前百姓と庄屋の訴訟に発展している。
(3)は主に矢代浦や太良庄村など近村との山争いに関するもので、当村に有利な結果となっているものが多いが、生産力がそれほど高くなく、油桐の実や石灰の生産販売で収入を補わなければならなかった本保村にとっては、山論の帰趨は死活につながっていたといえる。なお、肥料としての石灰焼きについては1810年(文化7)禁止となったので、その存続を訴えた願書が残っている。石灰製造は12年に10年の期限付きで許可された。
(4)は山王社の屋根葺替や再建、家建築などの足し材木の伐採願など。
(6)には清水家の相続に関する書状類、藩主京極氏の書状などがある。
近代文書は2点のみで、1869年(明治2)の免状と医学専門学校の学舎規則である。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編9 P.268-298 30点、通史編2 P.579・P.942・P.947、通史編3 P.72・P.88・P.149・P.151・P.255・P.273・P.280・P.286・P.290・P.291・P.322、通史編4 P.380・P.401
県史以外の収載
『わかさ宮川の歴史』
複製本番号
O0493~O0504
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。