三善膳太夫家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
N0092
資料群名
三善膳太夫家文書
地域(近世,行政村,現在)
三方郡郷市村,西郷村郷市,美浜町郷市
資料の年代
1469年(文明1)~1883年(明治16)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
郷市村は耳川下流の左岸に位置し、南は興道寺村と接する。村高は、「正保郷帳」で616石余、「天保郷帳」で625石余であった。当家は、この村の庄屋を代々務めた家で善太夫、膳太夫を名乗った。
資料群の概要
中世文書のうち資料編収載は1点、苧村(気山村の小字)山王宮の四至を定めたもので、発給者として「公文所 三善隠岐守」がみえる。この三善氏については、他の資料に見えず、「公文所」に関しても詳らかではない。しかし、当家の近世文書のうちには、1461年(寛正2)の「両沙汰人連署貞弘名宛行状」(渡辺六郎右衛門家文書)の紙背に「西郷公文所」として花押を署した人物が、三善隠岐守であるとする文書(N0016-00062)がある。
ほかに1588年(天正16)「麻野大丞様御検地帳(写)」がある。
近世文書は、村方文書として(1)法令、(2)土地・貢租・宗門改・恤救・鉄砲改・奉公請状等、(3)山論、(4)私家文書として由緒書・売券・借用証文などがある。
(1)には、1622年(元和2)に京極氏の重臣であった多賀越中守が、領国支配の方針を示した定書があり、年貢・小物成の納方のほか、逃散人・人足・魚の売買に至るまで詳細に定められていた。
(2)には、1635年(寛永12)の名寄帳がある。この検地の結果、隣村の興道寺村からの出作分に変化が生じ、この免定をめぐって争論が起こっていた。この分野の村方文書はまとまった形では残存していないが、多岐にわたる願書・請証文等が含まれる。
(3)では、郷市村には山地が少なく、田畑の肥草などを気山・久々子・松原・金山・大藪と郷市の6か村の入会山でまかなっていたため、これらの村々との山論文書が含まれる。
否撮カードは1点で、1832年(天保3)「大坂夏冬之御陣図」(夏冬2点)。
利用条件
 
県史収載
資料編8 P.644-660 19点、通史編3 P.150
県史以外の収載
『越前若狭古文書選』
複製本番号
N0855~N0865
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。