田辺半太夫家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
N0087
資料群名
田辺半太夫家文書
地域(近世,行政村,現在)
三方郡佐田村,山東村佐田,美浜町佐田
資料の年代
1525年(大永5)~1872年(明治5)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
佐田村は金瀬川の下流、若狭湾中の織田湾に面する海岸段丘上の農村で、若越国境の境峠の登り口にあたる。中世には織田と呼ばれ、それ以降も地元ではオッタと呼ばれることが多い。小浜藩領で、村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」で572石余、「天保郷帳」では583石余。
『三方郡誌』によると田辺家は清和源氏の系列で、守護武田信親の次男田辺又四郎宗景がその祖であるという。『国吉籠城記』では1563年(永禄6)佐柿国吉城に籠城した武士の1人に田辺半太夫を挙げている。また近世には藩主参勤交代の途次休憩所となっている。
資料群の概要
所蔵文書49点中、中世文書は18点で残りは近世文書である。
中世文書は武田氏からの判物や安堵状、山東郷の麹座の安堵状等であるが、1525年(大永5)及び33年(天文2)の文書についてはやや疑いが残る。また、89年(天正17)の刀狩の際、佐田村は山麓で猪が多いため鑓10本を許す、とする免許状もある。
近世文書は田辺家の赦免田地に関するものや売券・願書等である。
このほか戦国・安土桃山時代の連歌師里村紹巴(じょうは)の連歌や「国吉城責め之事」『国吉籠城記』異本孛がある。
利用条件
 
県史収載
資料編8 P.535-542 24点、通史編2 P.786・795、通史編3 P.59
県史以外の収載
『三方郡誌』、河村昭一「戦国大名の買地安堵について」(『兵庫教育大学研究紀要』5)、『越前若狭古文書選』
複製本番号
N0846~N0847
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。