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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
N0073
資料群名
加茂徳左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
三方郡久々子村,西郷村久々子,美浜町久々子
資料の年代
1601年(慶長6)~1872年(明治5)
資料目録件数
515
組織歴および履歴
久々子村は三方五湖の1つである久々子湖の東岸に位置し、北は若狭湾に面する。小浜藩領。村高は「正保郷帳」では475石余であるが、「天保郷帳」では740石余に増加する。石高の増加は久々子湖周辺の新田開発や、小浜藩郡奉行行方久兵衛により1665年(寛文5)完成された荒井用水によってできた新田などによるものである。
加茂家は江戸時代には当村の庄屋を務め、はじめ孫三郎のち徳左衛門を名乗った。
加茂家は江戸時代には当村の庄屋を務め、はじめ孫三郎のち徳左衛門を名乗った。
資料群の概要
当家の近世文書は約500点で、(1)巡見使関係、(2)貢租、(3)新田、(4)争論、(5)漁業、(6)絵図類、(7)その他に分類される。
(1)には巡見使到着の際の人足帳などがある。
(2)には1695年(元禄8)-1710年(宝永7)までの年貢免状や文化年間を中心とした勘定目録がある。
(3)については1662年(寛文2)に大地震があって、三方五湖周縁には干上り地が出現し、新田が多く開かれた。さらに63年の「永代売渡し申旱揚り嶋崎新田之事」には、久々子村の庄屋孫三郎が耕作不能な土地を村内の百姓より請けたことが記されている。その後、干上り地等の新田は93石余りに達したが、その多くを当家が開作したため、村民との間に対立を生じた。この新田については多くの検見帳も残されている。
(4)では早瀬浦との山境争論がある。
(5)には1601年(慶長6)の「久々子村鮭網引ニ付京極高次判物」などがあり、久々子湖の漁業権について記されている。
(6)には久々子湖付近の絵図などがある。
(7)には日記や竜沢寺の庫裡建立の際の借金に関するものなどがある。また、肥前国唐津の船が1704年(宝永1)に難船したときの浦手形願やその船の品物の売渡代銀の請取などがある。
近代文書約10点は庄屋役退役願など。
複製本N0838は、N0083の家番号で撮影されたため文書番号が重複しており、新たに家番号をN0073に訂正し、合わせて文書番号も訂正した。
否撮カードはない。
(1)には巡見使到着の際の人足帳などがある。
(2)には1695年(元禄8)-1710年(宝永7)までの年貢免状や文化年間を中心とした勘定目録がある。
(3)については1662年(寛文2)に大地震があって、三方五湖周縁には干上り地が出現し、新田が多く開かれた。さらに63年の「永代売渡し申旱揚り嶋崎新田之事」には、久々子村の庄屋孫三郎が耕作不能な土地を村内の百姓より請けたことが記されている。その後、干上り地等の新田は93石余りに達したが、その多くを当家が開作したため、村民との間に対立を生じた。この新田については多くの検見帳も残されている。
(4)では早瀬浦との山境争論がある。
(5)には1601年(慶長6)の「久々子村鮭網引ニ付京極高次判物」などがあり、久々子湖の漁業権について記されている。
(6)には久々子湖付近の絵図などがある。
(7)には日記や竜沢寺の庫裡建立の際の借金に関するものなどがある。また、肥前国唐津の船が1704年(宝永1)に難船したときの浦手形願やその船の品物の売渡代銀の請取などがある。
近代文書約10点は庄屋役退役願など。
複製本N0838は、N0083の家番号で撮影されたため文書番号が重複しており、新たに家番号をN0073に訂正し、合わせて文書番号も訂正した。
否撮カードはない。
県史収載
資料編8 P.494-507 16点、通史編4 P.211・P.215・P.218・P.219・P.478
県史以外の収載
『若狭漁村史料』、『わかさ美浜町誌 第7巻』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
N0712~N0761、N0838
関連資料一覧
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