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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
N0043
資料群名
野崎宇左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
三方郡佐野村,耳村佐野,美浜町佐野
資料の年代
1525年(大永5)~1897年(明治30)
資料目録件数
285
組織歴および履歴
佐野村は耳川の左岸、雲谷山の北東麓に位置しており、佐野・野口・上野の3集落を合わせて佐野と称している。小浜藩領で村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」では646石余である。
『国吉籠城記』によれば、1563年(永禄6)に佐柿国吉城に籠城した武士のうちに野崎備前の名がみえ、この野崎氏が当家の先祖と考えられる。野崎家は当村の庄屋を務め、代々卯左衛門を称した。
『国吉籠城記』によれば、1563年(永禄6)に佐柿国吉城に籠城した武士のうちに野崎備前の名がみえ、この野崎氏が当家の先祖と考えられる。野崎家は当村の庄屋を務め、代々卯左衛門を称した。
資料群の概要
当家の文書は中世文書を含む281点が調査・撮影されている。
中世文書は資料編に収載されている6点のうち現存するのは2点だけで、残りの4点は東京大学史料編纂所影写本によった。
近世文書は約230点で、(1)名寄帳・諸事記録帳、(2)貢租、(3)山、(4)嘆願書、(5)売券・借金証文、(6)その他に分類される。
(1)には1692年(元禄5)と1777年(安永6)の名寄帳がある。
(2)は年貢免状など。
(3)には1694年(元禄7)の山定があり、内山に関する規定が定められている。その他炭焼きや御用木伐採を願う文書がある。
(4)では1850年(嘉永3)に山沿いに猪が多く、稲が痛められるので威鉄砲2挺の拝借を願った文書がある。
(6)には1680年(延宝8)の「仕渡一札之事」がある。これは密通が発覚したが隣村の惣百姓が詫言をいれ、男は「くびの代り」を出し、女は「頭ヲそり」詫びて許されている。また、河原市村の伊藤正作が1837年(天保8)に作った「耕作いろは歌」を野崎将澄が書写したものがある。
近代文書は借金証文など45点。
否撮カードは庭訓往来など36点。
中世文書は資料編に収載されている6点のうち現存するのは2点だけで、残りの4点は東京大学史料編纂所影写本によった。
近世文書は約230点で、(1)名寄帳・諸事記録帳、(2)貢租、(3)山、(4)嘆願書、(5)売券・借金証文、(6)その他に分類される。
(1)には1692年(元禄5)と1777年(安永6)の名寄帳がある。
(2)は年貢免状など。
(3)には1694年(元禄7)の山定があり、内山に関する規定が定められている。その他炭焼きや御用木伐採を願う文書がある。
(4)では1850年(嘉永3)に山沿いに猪が多く、稲が痛められるので威鉄砲2挺の拝借を願った文書がある。
(6)には1680年(延宝8)の「仕渡一札之事」がある。これは密通が発覚したが隣村の惣百姓が詫言をいれ、男は「くびの代り」を出し、女は「頭ヲそり」詫びて許されている。また、河原市村の伊藤正作が1837年(天保8)に作った「耕作いろは歌」を野崎将澄が書写したものがある。
近代文書は借金証文など45点。
否撮カードは庭訓往来など36点。
県史収載
『福井県史 資料編8 中・近世六』P.565-597 13点、『福井県史 通史編3 近世一』P.89・P.314・P.323、『福井県史 通史編4 近世二』P.223・P.239・P.482
県史以外の収載
『三方郡誌』、『越前若狭古文書選』、『わかさ美浜町誌』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
閲覧できない資料あり。
複製本番号
N0347~N0355
関連資料一覧
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