宇波西神社文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
N0036
資料群名
宇波西神社文書
地域(近世,行政村,現在)
三方郡気山村,八村気山,若狭町気山(三方町)
資料の年代
1352年(文和1)~1919年(大正8)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
宇波西神社文書は同社神主家の須磨家に伝わった文書である。
延喜式神名帳の北陸道の神社352座のうち、「名神大」社とされているのは同社のほか6社であるが、月次、新嘗の祭に与り、また祈年祭の案上官幣を受けるのは宇波西神社だけであることから、北陸道のなかで当社は別格の扱いを受けていたことがわかる。
社伝によれば701年(大宝1)の鎮座。祭神はウガヤフキアエズノミコト。伴信友は社前の上瀬河に社号は由来し、その社号から祭神が思い寄せられたのではないかとする(「神社私考」4)。なお上瀬神は最初に日向浦の出神の地に垂迹したとの伝承があり、今日でも当社祭礼の時にはその由緒にちなむ祭礼が続けられている(渡辺六郎右衛門家文書解題、資料編15参照)。また宇波西神社の神事は、現在4月8日(もと3月8日)に行われており、1976年(昭和51)に国選定の無形民俗文化財に指定された。
資料群の概要
中世文書は約20点。(1)神事祭礼に関する資料と(2)当社が属した中世耳西郷に関する資料がある。
(1)では、耳西郷の村や浦が参加する祭礼を運営した頭を指定する「差定」がある。とくに田楽頭の差定「田楽頭文」は1485年(文明17)より1882年(明治15)まで伝わっており、1573年(元亀4)の頭をめぐる紛争や、83年(天正11)の検地に関する記事などが注目される。
(2)では耳西郷田数帳類が戦国期のこの地域の様子を知りうる重要な資料である。耳西郷は鎌倉後期の弘安年間(1278-88)に奈良の春日神社に寄進され、南北朝期の1361年(康安1)に郷半分地頭職が京都の臨川寺に寄進されていた。田数帳類により耳西郷の村や浦の地名と田数、郷の堂社、半済、年貢、段銭の様相などを窺うことができる。とくに1527年(大永7)「(耳西郷堂社等田数帳)」は、若狭において、段銭などの収納を行った符所が収納対象とした田地「符所田数」を具体的に記載した唯一の資料である。
当文書群の大部分を占める近世文書には(1)当神社の由緒書・神事祭礼・社殿鳥居修復・寄進帳・書状・諸記録など神社関連文書、(2)社領や気山村に関する文書、(3)持高帳、(4)売券などがある。量的には(1)が圧倒的に多く、このうち書状は、支配関係にあった京都青蓮院宮家役人との、神官補任、献金贈答礼状、本末社紛擾などに関する書状および書状控が大半を占める。(2)では1634年(寛永11)「(気山村指出)」が、庄屋やあるきの領主からの給分、茶の定納、「ふな・なし・柿・つは木・かうし」などへの「小川米・小物成」の賦課など、酒井氏入部以前京極氏時代の農村支配の様子を窺わせ注目される。このほか62年(寛文2)の地震により河床が隆起し廃川となった気山川の川漁に関する資料がある。
近代文書は量は僅かであるが、当家が明治初年に三方郡神職総代触頭に任命されたことによる郡内の神社取調、神仏混交禁止令に関する資料と、明治後期の三方郡の神社整理に関する資料が注目される。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編8 P.725-767 25点、通史編2 P.6・P.143・P.571、通史編3 P.72・P.303・P.632
県史以外の収載
『三方郡誌』『越前若狭古文書選』
複製本番号
N0365~N0390、N0412~N0414
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。