武長宗兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
N0020
資料群名
武長宗兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
三方郡田井村,田井村田井,若狭町田井(三方町)
資料の年代
1587年(天正15)~1872年(明治5)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
田井村は三方湖西岸に位置し、田井野・田立・河内・別所・世久津・伊良積の6つの小村からなる。小浜藩領。村高は「正保郷帳」では581石余であるが、「天保郷帳」では785石余に増加した。これは新田開発によるものでそのほとんどが島新田の開発である。
武長家は世久津に住し、江戸時代には宗(惣)兵衛を称して田井村の庄屋なども務めた。
資料群の概要
当家の文書は中世文書1点を除きほとんどが近世文書である。
1587年(天正15)の中世文書は、63年(永禄6)より開始された朝倉氏の三方郡佐柿国吉城攻撃を迎え撃って功のあった入江氏家来の5人が山を与えられたことを示す文書であるが、様式・字体・花押ともに当時のものとは考えられない。
近世文書は約160点で(1)支配、(2)新田開発、(3)貢租、(4)村、(5)湖、(6)売券・借用証文、(7)その他に分類される。
(2)については古くから新田開発が行われ、そのほとんどが当家によるものであり、島新田とよばれた。1804年(文化1)-19年(文政2)の「永代日記」や、明治期に書かれたと思われる「島新田開発記」によれば武長宗兵衛が、村内に田畑が少なく生活に苦しむのを見かね、文化年間に新田開発の事業を思い付き藩主の許可を得て開発に着手したこと、その後3代50年余りの年月を経て55年(安政2)に完成したことがわかる。ただ、完成近くの52年(嘉永5)には費用がかさみ、武長家の生活が困難になったため財産一式を藩に差し出すかわりに開発を継続できるよう嘆願書を提出し、その願いは聞き届けられている。
(3)は年貢免状など。
(4)には「若者示之事」があり、若者組としての行動のあり方などについて述べられている。
(5)には湖の水辺での菱取・鳥縄猟をめぐる海山村との争論文書がある。漁業権は主として海山村が持っていたが、田井村も伊良積を中心に、海山村から湖請によって漁業を行っていた。
(6)には1804年(文化1)の「末代譲り渡し申嶋新田見取場之事」がある。これによれば、田井村から田井島に土地(「永代日記」では1町3反とある)を代銀1貫目で買い受け、普請の準備をしたことがわかる。
(7)の1865年(慶応1)「金毘羅参リニ付往来手形」では、代参として1人を金毘羅参りに送り出しており、金毘羅詣がさかんだったことがうかがえる。
否撮カードは地券・地籍図など6点。
利用条件
 
県史収載
資料編8 P.977-985 7点、通史編4 P.690・P.761
県史以外の収載
『三方町史』
複製本番号
N0286~N0289
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。