大音正和家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
N0009
資料群名
大音正和家文書
地域(近世,行政村,現在)
三方郡神子浦,西浦村神子,若狭町神子(三方町)
資料の年代
1169年(嘉応1)~1951年(昭和26)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
神子浦は中世には倉見荘に属し、本荘から遠く離れた常神半島の西浦にあって、「片荘」として所属していた。江戸時代を通じて小浜藩領で、村高は江戸時代を通じて16石3升と少なく、浦人はいずれも漁業にかかわって生活していた。しかし海成などの小物成が初期から約10石賦課され、これは大きな負担であった。家数は35-38軒ほどで、大音家のほか、4軒前後の長百姓、数軒の無高百姓があり、残りが小百姓であった。
大音家は、同家所蔵の「伊香氏系図」によれば、近江国伊香大社神主伊香氏の神四郎安宗のとき、若狭国三方郡の御賀尾・常神南浦の開発領主になったとしている。江戸時代には、中世の刀祢以来の権限を継承する大音家は屋号を次(治)郎左衛門と称し、代々庄屋を務めるなど、浦内に特別の位置を占めていたようである。明治-昭和初期の当主(繁太郎・甚蔵)は西浦漁業組合の理事を務めた。
資料群の概要
当家の中世文書は約280点、近世文書は2000点弱、近代文書は約140点におよぶ。『若狭漁村史料』には慶長以前分として242点が収載されたが、そのうち2点は慶長6年以後のもので、また後欠、前欠の2点が同一文書としてつながる。
中世文書では、鎌倉期から南北朝期まで刀祢職・山守職・神主職等の補任・宛行状があるが、それ以後のものがなく、室町期以降にはこれらの職は補任・宛行の対象でなくなったことが注目される。また鎌倉期に多くみられる年貢・公事・夫役等の訴訟文書には、地頭が裁決を下した一連の下知状があって、地頭の裁判権を示す数少ない例として重要である。年貢目録では「等持院御領倉見荘内御賀尾浦」として、1438年(永享10)分の年貢銭から1519年(永正15)までその請取状が残っている。これは倉見荘が一旦室町幕府の御料所となった後、1413年(応永20)に洪恩院(将軍足利義持の祖母紀良子)追善料所として、将軍家と縁の深い等持院へ寄進されたことによるものである。
これらの訴訟文書、検田目録・年貢目録をはじめ年貢銭・棟別銭・要銭・美物・肴代等の請取状やこれらに関する書状等からは、支配収取関係は勿論、製塩から諸海産物の生産・流通の展開過程が知られる。網場漁業については、1333年(元亨3)にたてあみ、1536年(天文5)に大網がみられ、とくに注目すべきことは41年に惣中として大網に関するとりきめをしていることで、近世の惣持の大敷網漁の先駆とみることができよう。於面(小面、小河)浦との山論、あるいは常神浦との網場相論では、浦から守護・幕府への働きかけが知られ、年不詳の「武田元光感状」では海賊に対する浦の防御活動も注目される。以上のほか、1342年(暦応5)の譲状や年未詳の「大音家付雑物注文」等は当時の地方武士の生活実態を示す貴重な史料である。
近世文書の内容は(1)幕府・小浜藩の法令・達、(2)土地・戸口、(3)貢租・村算用、(4)漁業、(5)金融、(6)災害・救恤など浦方関係全般に及び、このほか大音家の経営を示す大福帳(化政期が中心)や勘定書等も多い。
(2)は検地帳や宗門改帳や寺送り状である。
(3)では1649年(慶安2)から1871年(明治4)の年貢免状が約190点あり、ほぼ揃っている。また、小物成・村掛物などの帳面類も多い。
(4)では、漁場と漁法、出漁慣習、それに魚の流通や大音家の経営等を具体的にみることができ、とくに漁場・漁法をめぐる史料が豊富である。1635年(寛永12)の「銀子預手形」や99年(元禄12)の「神子浦万五郎難船手形」では、能登や隠岐島まで出漁していることが分かる。浦内では各個人の網場や惣網場が決まっていたが、漁場をめぐる争論もよく発生し、とくに近隣の常神・小川両浦などとはしばしば争いがあった。当浦では早くから惣持の大敷網漁が行われ、また魚の種類に応じた各種の網が使用されていることが確認されるが、1851年(嘉永4)の「油縄仕立ニ付世久見浦庄屋詫状」などに見られるように、新規の網を用いて収穫を増やすことは他の浦の収穫に影響するため訴えられることもあった。この他にも漁業経営や魚の販売・流通関係の文書も大量に見られる。
また、1793年(寛政5)には鯨が捕れ、浦方で配分していることが分かる。
(5)は無尽関係や借用証文など。
(6)は砂入による年貢減免願・破船のため生活が困窮して、救済を求めているものなどがある。
この他、ころび(油桐)の栽培や仕切なども数多くみられる。
近代文書はほとんどが漁業関係で、当主が理事を務めていた西浦漁業組合の名簿・補助金、大音家の漁業免許などがある。
なお1967年(昭和42)、当家所蔵古文書は県文化財に指定された。
否撮文書は140点余、主なものは仕切帳42冊、明治-大正期の大福帳・大福水揚げ帳・収支決算帳80点弱などである。
利用条件
 
県史収載
資料編8 P.774?928 321点、通史編2 P.64・P.82・P.86・P.137・P.172・P.175・P.180・P.198・P.214・P.218・P.220・P.221・P.223・P.233・P.234・P.236・P.309・P.310・P.355・P.356・P.394・P.395・P.410・P.412・P.414・P.415・P.502・P.526・P.536・P.563・P.635・P.703・P.711・P.715・P.717・P.720・P.784・P.807・P.821・P.850・P.907・P.938・P.954・P.958、 通史編3 P.304・P.317・P.452・P.454・P.455・P.458・P.460、通史編4 P.254・P.265・P.502
県史以外の収載
『三方町史』『三方郡誌』『小浜市史』『若狭漁村史料』『越前若狭古文書選』、羽原又吉「若狭湾沿海を中心とする中世漁業とその近代化」『日本漁業経済史』中巻1、黒川正宏『中世惣村の諸問題』第4・5章、網野善彦「若狭国における『浦』の成立」米山俊直・田村善次郎・宮田登編『民衆の生活と文化』、海老沢衷「若狭国惣田数帳における『浦』について」竹内理三編『荘園制社会と身分構造』、春田直紀「中世後期における生鮮海産物の供給-若狭国御賀尾浦の美物を中心に-」『小浜市史紀要』6
複製本番号
N0040~N0046、N0106~N0137、N0762~N0828
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。