熊谷平兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
N0006
資料群名
熊谷平兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
三方郡気山村,八村気山,若狭町気山(三方町)
資料の年代
1395年(応永2)~1893年(明治26)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
気山村は古くは「けやま」とも称し、三方五湖の水月湖・菅湖の東岸、久々子湖の南岸にあって7つの小村からなる。北部に水月湖と久々子湖を結ぶ浦見川が流れる。小浜藩領。村高は正保郷帳では960石余であるが、天保郷帳では1447石余に増加した。これは1662年(寛文2)の地震以後実施された浦見川の開削によって開かれた新田によるところが多い。
熊谷家は浦見川開削以前の湖新田と呼ばれる新田をも所持し、庄屋・組頭を務めていた。
資料群の概要
当家の中世文書は1395年(応永2)の年紀がある由緒書1点のみである。近世文書は(1)新田関係、(2)争論、(3)村方騒動、(4)売券・借金証文、(5)その他、に大別される。
(1)の「浦見川普請覚」によれば、酒井忠勝が小浜藩主となって9年目の1642年(寛永19)に浦見川の改修工事が行われ、本田1500石余の水損がなくなり、その際湖岸に干上がりができて新田が生まれた。また、62年(寛文2)の地震に伴って浦見川の開削工事が行われ、395石余の新田ができた。これらの新田を耕すために生倉村・成出村という2つの新しい村が作られたことなどがわかる。浦見川普請については渡辺六郎右衛門家文書・熊谷又兵衛家文書・行方弥平治家文書など参照。
(3)では1783年(天明3)に村内の市中村の者が勘定に疑問をもって帳面を見せるよう要求したり、1800年(寛政12)には庄屋の交替要求が出されるなど枝村と本村の対立が起きた。
(5)には1853年(嘉永6)の「海道御手宛」があり、海防強化のために百姓の動員体制がつくられ、動員数や動員の場合の兵糧など細かく規定されている。
近代文書は1880年(明治13)の気山村中湖水害取調帳などがある。
第2次調査の際、家番号をN0022として撮影し始めているが、途中でN0006に戻して撮影し直している。このため、N0022として撮影した文書番号が重複しており、新たにN0006に訂正し、合わせて文書番号も訂正した。
否撮カードは盛指引帳・借用証文など13点。
利用条件
 
県史収載
資料編8 P.928-936 8点、通史編4 P.468・613・910
県史以外の収載
『三方町史』
複製本番号
N0006、N0391~N0399
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。