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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
M0687
資料群名
秦実家文書
地域(近世,行政村,現在)
敦賀郡手浦,松原村手,敦賀市手
資料の年代
1301年(正安3)~1857年(安政4)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
手浦(たのうら、田浦)は敦賀半島の東側に位置し、正保郷帳では村高26石余の漁業を中心とする村であった。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)以降小浜藩領。
秦家は中世では刀祢職にあり、江戸時代では庄屋を務め、治郎左衛門を称した。
秦家は中世では刀祢職にあり、江戸時代では庄屋を務め、治郎左衛門を称した。
資料群の概要
撮影文書は43点。(1)中世文書は38点(写1点を含む)、(2)近世文書5点である。
(1)のうち、最も古いものは鎌倉末期の1301年(正安3)に出された気比大神宮政所下文による刀祢職補任状で、同様の補任状が多く残されている点が特徴的である。また、1318年(文保2)には塩釜の記載があり、1496年(明応5)には製塩用の山林の伐採から山林が荒廃していたことが知られ、当地で製塩が活発に行われていたことがわかる。1590年(天正18)の清水(泉)村との山争論も塩木に関連するものと推測され、97年(慶長2)には2俵の塩手米を支給し、塩14俵(6斗入)が徴収されていた。また、38年(天文7)の海賊の襲来に関連した文書が3点残されている。
(2)には手浦と今浜との漁場争論に関するものがある。
(1)のうち、最も古いものは鎌倉末期の1301年(正安3)に出された気比大神宮政所下文による刀祢職補任状で、同様の補任状が多く残されている点が特徴的である。また、1318年(文保2)には塩釜の記載があり、1496年(明応5)には製塩用の山林の伐採から山林が荒廃していたことが知られ、当地で製塩が活発に行われていたことがわかる。1590年(天正18)の清水(泉)村との山争論も塩木に関連するものと推測され、97年(慶長2)には2俵の塩手米を支給し、塩14俵(6斗入)が徴収されていた。また、38年(天文7)の海賊の襲来に関連した文書が3点残されている。
(2)には手浦と今浜との漁場争論に関するものがある。
県史収載
資料編8 P.435-P.446 37点、通史編2 P.234・P.236・P.580・P.781
県史以外の収載
『敦賀市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
M0416
関連資料一覧
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