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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
M0561
資料群名
公文名区有文書
地域(近世,行政村,現在)
敦賀郡公文明村,粟野村公文名,敦賀市公文名
資料の年代
1700年(元禄13)~1946年(昭和21)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
公文名村は御名村の東、黒河川扇状地の中央部に位置する。地名の由来は中世の荘園の公文の名田が存在していたことに由来するといわれる。(『敦賀市史』『日本歴史地名大系18 福井県の地名』『角川日本地名大辞典18 福井県』)。
村高は正保郷帳では625石余、天保郷帳では764石余。はじめは福井藩領、1624年(寛永1)に小浜藩領、68年(寛文8)に小浜藩領から安房勝山藩領に替わる。
村高は正保郷帳では625石余、天保郷帳では764石余。はじめは福井藩領、1624年(寛永1)に小浜藩領、68年(寛文8)に小浜藩領から安房勝山藩領に替わる。
資料群の概要
撮影資料は169点。大別すると、近世のものと近代のものに分けることができる。
近世の資料には1700年(元禄13)の検地帳や57年(宝暦7)の村明細帳などが残されており、近世の公文名村の状況を知ることができる。特に安房勝山藩が元禄期に実施した検地の際に出された触書は当時の村政を具体的に知ることができる資料である。
近代の資料は明治~昭和にかけての協議会費徴収帳を中心としたものが多く残っている。
否撮資料はなし。
近世の資料には1700年(元禄13)の検地帳や57年(宝暦7)の村明細帳などが残されており、近世の公文名村の状況を知ることができる。特に安房勝山藩が元禄期に実施した検地の際に出された触書は当時の村政を具体的に知ることができる資料である。
近代の資料は明治~昭和にかけての協議会費徴収帳を中心としたものが多く残っている。
否撮資料はなし。
県史収載
資料編8 P.121-134 1点
県史以外の収載
『敦賀市史』史料編第4巻下 P.77-100 4点
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
公開できない資料あり。
複製本番号
M1561-M1579
関連資料一覧
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