角埜修一家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
M0517
資料群名
角埜修一家文書
地域(近世,行政村,現在)
敦賀郡敦賀湊,敦賀町大金,敦賀市相生町
資料の年代
1808年(文化5)~1926年(昭和1)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
角埜家は、『遠目鏡』(1682年)に越後長岡藩の蔵宿のひとつとして七兵衛の名が見えている敦賀湊の町人で、代々七兵衛あるいは七郎兵衛を称した。1785年(天明5)に煎海鼠(いりなまこ)・乾鮑・干貝柱等の俵物が会所直売に改められた後もその請負方を務めた(『敦賀市史』資料編)。小浜藩へ冥加金を拠出しており、1842年(天保13)に与之助が家督相続した際には、先代が得ていた四人扶持のうち三人扶持を下置かれた。
明治期では、1884年(明治17)に敦賀の安孫子治郎左衛門から養子に入った七郎兵衛(1870-1926)が93年(明治26)に家督を継いで以降、北海道産の魚肥をあつかう肥料商を開業した。
七郎兵衛は96年(明治29)に敦賀町会議員に選出され、1921年(大正10)年に4選して町政にかかわった。01年(明治34)から敦賀郡会議員、さらに05年から08年、15年(大正4)から17年まで福井県会議員を務め、この間08年には議員涜職法違反を問われて失格したが、名古屋控訴院で無罪判決をうけ、15年に再選している(『福井県議会史』議員名鑑)。
また七郎兵衛は、敦賀外国貿易協会を改組した「福井県外国貿易協会」にかかわり、1902年(明治35)にはウラジオストクへ商況調査に出張している。
資料群の概要
撮影は敦賀市史の調査によるものである。
撮影資料は、ほとんどが角埜家の家資料で、(1)天保期を中心に江戸時代40点余、(2)明治期以降110点余、計158点である。
(1)には、相続の際の養子願、御目見・扶持米下付願、諸事控、「永代帳」、婚礼等の祝儀目録等である。「永代帳」は天保期の年ごと、あるいは数年間の決算で、1833年(天保4)には、イリコ(ほしなまこ)・縄筵・蝋燭・タバコ・材木・鯡等を取扱っていた。また1841年(天保12)に敦賀で病死した松前城下の河内屋手代郡助の改葬をめぐる文書がある。
ほかに、複製であるが「御触書控」(『敦賀市史』掲載)がある。なお、同じ『敦賀市史』資料編掲載の「長崎俵物直売ニ付触」(横板)は、ここには含まれていない。
(2)には、大半が七郎兵衛(1870-1926)の町会・郡会・県会等の選挙にかかわる推薦状、新聞記事、1908年(明治41)の涜職法違反事件にかかわる覚書・新聞記事、ほかに、1898年に同じ敦賀町在住の桃井孫一郎らとともに禄高整理公債給与を願い出た際の書類が含まれる。
新聞には、残存が少ない明治40年代から大正期にかけての『福井新聞』『北日本』『敦賀新聞』があり、当家でのみ確認できるものが多い。しかしながら部分的に撮影漏れがあり、再調査が望まれる。
敦賀市史調査の否撮資料はない(『敦賀市史史料目録』1)。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
『敦賀市史』資料編第一巻、『敦賀市史史料目録』1
複製本番号
M1012~M1020
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。