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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
M0509
資料群名
善妙寺文書
地域(近世,行政村,現在)
敦賀郡敦賀湊,敦賀町神楽,敦賀市神楽町
資料の年代
1388年(嘉慶2)~1854年(安政1)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
善妙寺は浄土宗鎮西派に属し、京都清浄花院の末寺である。山号は手筒山。元は気比宮神宮寺中の釈迦寺と称したが、1259年(正元1)空覚のときに改宗し、のち御所辻子町から現在地に移ったとされる。
資料群の概要
当寺の文書は46点で3巻の巻子に表装されており、このうち29点が中世文書である。中世文書は敦賀市文化財に指定されている。1388年(嘉慶2)に寺院の創建に関する土地寄進の遺言状があるが、この寄進の意志は94年(明徳5)に実現されていることがみえる。当寺の中世文書はほとんどが領主朝倉氏関係のものである。
朝倉氏関係の文書は善妙寺の所領安堵を中心にしたもので、朝倉氏は府中奉行人を段銭奉行として段銭や棟別銭の徴収をおこなったことがみえる。また、1558年(永禄1)の「善妙寺領目録」からは『和名抄』にみえる古代の「与祥郷」と考えられる「よさ村」の記載をはじめとして、御所辻子・東町・中橋之町・西町などの地名がみられる。さらに、当時喫茶の普及にともなって茶が茶園で栽培されていたこともみえる。
近世文書は当寺の由来、1696年(元禄9)に行われた寺院改めの際に差し出された由緒書などがある。
なお、複製本P.39-41に「青木景忠書下」が3点あるが、これは敦賀市史では堀江景忠書下となっている。滝谷寺文書などを参照すると署名・花押から堀江景忠ではないと思われる。しかし、御前神社文書の「景康・景忠連署棟別銭調符」からは、景忠は印牧景忠の可能性があるが確認を要する。
文書番号はフィルム番号7572の撮影順につけた。
朝倉氏関係の文書は善妙寺の所領安堵を中心にしたもので、朝倉氏は府中奉行人を段銭奉行として段銭や棟別銭の徴収をおこなったことがみえる。また、1558年(永禄1)の「善妙寺領目録」からは『和名抄』にみえる古代の「与祥郷」と考えられる「よさ村」の記載をはじめとして、御所辻子・東町・中橋之町・西町などの地名がみられる。さらに、当時喫茶の普及にともなって茶が茶園で栽培されていたこともみえる。
近世文書は当寺の由来、1696年(元禄9)に行われた寺院改めの際に差し出された由緒書などがある。
なお、複製本P.39-41に「青木景忠書下」が3点あるが、これは敦賀市史では堀江景忠書下となっている。滝谷寺文書などを参照すると署名・花押から堀江景忠ではないと思われる。しかし、御前神社文書の「景康・景忠連署棟別銭調符」からは、景忠は印牧景忠の可能性があるが確認を要する。
文書番号はフィルム番号7572の撮影順につけた。
県史収載
資料編8 P.263-296 29点、通史編1 P.337、通史編2 P.466・655-657・782・824・850・898・956・1019・1059、通史編3 P.631・659
県史以外の収載
『敦賀市史』、『敦賀郡誌』、『越前若狭古文書選』、小葉田淳「冷泉為広卿の越後下向日記と越前の旅路」『福井県史研究』3、河村昭一「朝倉氏の敦賀郡支配について」『若越郷土研究』20の1、水藤真『朝倉義景』、『越前市史 資料編3 中世1』、『特別展 中世若狭の「まち」』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
M0630
関連資料一覧
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