山本宗右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
M0506
資料群名
山本宗右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
敦賀郡沓浦,松原村沓,敦賀市沓
資料の年代
1551年(天文20)~1927年(昭和2)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
沓浦(くつのうら)は敦賀の西浦10か浦のひとつで、中世では手・縄間の両浦と共に気比社領であり、当家が刀祢を務めた。近世では、1634年(寛永11)以降小浜藩領。村高は正保郷帳によれば72石余であった。
当家は代々庄(惣)右衛門を称し庄屋を務め、19世紀にはいると廻船業を営んだ。
資料群の概要
調査・撮影文書は900点を越え、西浦地区最大の文書群である。中世文書は、1551年(天文20)の気比大神宮政所下文をはじめとして、天正・慶長期の薪木伐採に関する文書3点、98年(慶長3)太閤検地帳・名寄帳写、木村由信の検地条目がある。
近世文書は、(1)年貢関係、(2)小浜藩定書、(3)村方騒動や網場・漁法争論などの願書類、(4)塩業・塩年貢関係、(5)廻船・難船関係、(6)借用証文、その他などからなっている。
(1)1624年(寛永1)の京極氏時代の年貢免状をはじめとして、1849年(嘉永2)まで140点をこえる免状が残されている。1720年(享保5)以降本年貢は、ほぼ一貫して57石余であった(『敦賀市史』史料編3)。年貢米小前帳・算用帳などの帳簿類約70冊がある。
(2)1634年(寛永11)の9条からなる定書があり、小浜藩の農村支配の基本法となったものである。64年(寛文4)のものも含まれる。
(3)1633年(寛永10)に西浦の8か浦百姓中が、下代の野瀬が課した新出の小物成の免除を訴えている。同年には、刀祢と浦惣中との間でも争論が起こっており、関連の願書・返答書4点が残されている。中世の刀祢から近世の庄屋へ村の役職が変化する過程で生じた事件であり、旧来の刀祢の大網得分などの権益が庄屋給の中に認められなくなっていた。
近隣の縄間・常宮との間でそれぞれ漁場争論が起こっている。また魚の販売をめぐっては、1691年(元禄4)に西浦10か浦が敦賀湊での生魚の自由販売を求めた願書を代官所に提出しており、1742年(寛保2)になって「魚売勝手次第」の許可がおりている。
(4)年々の塩年貢を把握できるまとまった資料はないが、1659年(万治2)の「覚(沓浦年貢本役新役書上)」から塩年貢、漁業年貢・塩木の山手銀などの小物成がわかる。ほかに、沓浦年貢塩納通、塩田普請に関連する夫食米下付願、塩竃修繕のための伐木願などがある。
(5)当家は文化期に100石積の船をもって廻船業を営んでおり、船手形、水主請証文等がある。
(6)その他として、1698年(元禄11)国絵図に関連した一札、1702年(元禄15)幕府のたばこ作付半分作の触に対する請書、22年(享保2)敦賀・琵琶湖間開削計画の口上書写などがある。
文書番号は複製本の編冊順に付した。
フィルムNo.7316は、文書番号00012の1点のみ。
利用条件
 
県史収載
資料編8 P.452-457 8点、通史編3 P.292・P.449、通史編4 P.260・P.492・P.521・P.565
県史以外の収載
『敦賀市史』
複製本番号
M0579~M0608
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。