刀根春次郎家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
M0503
資料群名
刀根春次郎家文書
地域(近世,行政村,現在)
敦賀郡江良浦,東浦村江良,敦賀市江良
資料の年代
1469年(文明1)~1953年(昭和28)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
江良浦は西を敦賀湾の入り江に面して位置し、集落南端は南西に折れて赤崎に、北端は北東に折れて五幡に接する。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)小浜藩領、82年(天和2)鞠山藩領、1870年(明治3)再び小浜藩領で、正保郷帳による石高は120石余。この中には葉原村・田尻村の出作年貢が含まれており、江良浦を通じて納入された。1727年(享保12)における江良浦分は39石余、葉原村は49石余、田尻村は49石余である。
中世の江良浦は気比神宮執当の私領で、当家はその刀禰に任ぜられた。江戸時代は代々彦右衛門を称し、庄屋を務めた。また橘姓を名乗っていた。
資料群の概要
当家の中世文書は67点、残りはほとんど近世文書である。
中世文書は当家の刀禰職補任状や年貢関係が中心である。他の浦の補任状は気比大神宮政所下文の形式をとるのが、当家のものは領主である気比神宮執当からの補任状となっている。
年貢関係では代官高橋三郎兵衛の下代新三郎・七助書名の蔵米請取が多数残っている。また、1527年(大永7)の江良浦刀禰百姓申状案は、浦人が承知しない間に天野与一に所領を売却した地頭への抗議であり、「指出」に記された年貢・公事の額をめぐり新地頭と浦人の間で争いがあったことを示す。
近世文書は18世紀以前のものが多く、19世紀以降のものはごく少数である。おおまかに(1)貢租、(2)宗門、(3)訴訟関係、(4)達しなど、(5)書状類、(6)売券・借用証文 などに分けられる。
(1)は年貢免状のほか、塩年貢に関する文書が数多く残されている。1610年(慶長15)、江良浦の塩年貢は208俵3斗余であったが、その負担は重く、14年には39俵余りの未進となっている。その後51年(慶安4)までに151俵余に減額され、さらに63年(寛文3)と81年(天和1)に永荒浜の減免が認められて一作引きなどをあわせると113俵余になった。
(2)は1635年(寛永12)の宗門人別書のほか、宗門改めについての請書などがある。
(3)では1693年(元禄6)・1737年(元文2)に庄屋の不正に対しての訴状がある。このうち後者は庄屋が所有する塩浜の帰属をめぐり、庄屋給とする浦人と、先祖伝来の御免地であり、庄屋給は米と銀で支給されるとする庄屋が争ったが、庄屋側の敗訴となり、庄屋は役を召し放され、逼塞を申しつけられている。
(4)の差出人は鞠山藩役所・町会所・大庄屋などであり、役所からのものは金子上納や作食米・塩浜夫食米の下付に関するものが多く、町会所や大庄屋からのものは上納金や米・塩代金の請け取りが中心。さらに大庄屋からのものには講の掛金の請取も多く見られる。
近代文書は3点のみ、明治初年の詫状、滋賀県宛の日吉神社明細帳、戦後記された当家の系図である。
文書番号は複製本の掲載順に採番した。敦賀市史の目録では630点となっているが、目録を別にとっていたものが連続していた場合は1点に統合し、年代不詳の断簡は一括したため、今回の整理では621点とした。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編8 P.307-341 73点、通史編2 P.127・P.535・P.576・P.673・P.780・P.805・P.915・P.927・P.944・P.956、通史編3 P.94・P.243・P.246・P.256・P.261・P.292・P.470-472・P.474・P.646、通史編4 P.565
県史以外の収載
『敦賀市史』 『敦賀郡誌』 『越前若狭古文書選』 『敦賀市史料目録Ⅱ』、 阿部猛「中世末期における在地構造の一考察」『日本歴史』110、岡田孝雄「越前国敦賀郡における近世的秩序の成立過程」『敦賀高校研究紀要』10、久木幸男「中世民衆教育施設としての村堂について」『日本教育史研究』6
複製本番号
M0491~M0502
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。