平野治右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
L0010
資料群名
平野治右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡川合村,下穴馬村川合,大野市川合(和泉村)
資料の年代
1220年(承久2)~1885年(明治18)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
川合村は、石徹白(いとしろ)川が九頭竜川に合流する地点の左岸に位置する。村高は12石余で、はじめ福井藩領、1686年(貞享3)幕府領となり、92年(元禄5)以降は郡上藩領となった。
当家は轆轤師の家柄であると伝えられる。近世には治右衛門を名乗り、庄屋などの村役人を務めた。
資料群の概要
当家の文書は、(1)法度や高札の写、(2)年貢関係、(3)他村との紛争、(4)紙漉関係、(5)宗教関係、(6)その他、に大別される。
(2)では、1686年(貞享3)-1871年(明治4)の免状23点、1687年(貞享4)-1730年(享保15)の皆済目録15点があり、他に年貢村割も数点ある。
(3)には、長野村との争論、伊月村との争論関係の文書がある。
前者は、長野村が両村境界の字「善寺谷」から通水した小滝野を、川合村が角野村や鷲村の者に売り払ったため、1805年(文化2)訴訟となった。この訴訟は内済となり、長野村が9両を川合村に支払って論所を支配することになった。しかし、草場を失った川合村は、41年(天保12)、往古より支配が明白だった土地の返還を望んでいる。
後者は、1711年(正徳1)に伊月村の者が川合村の山で伐木したことに始まり、安政年間(1854-60)には、字「滝が谷」山上の白山宮の神地・神木をめぐってまた紛争が起こった。伊月村は白山宮を氏神としており、境内の神木を川合村の者が切り取ったと主張し、川合村は往古から村方用木として利用してきたと主張している(これらの争論の詳細は「和泉村史」を参照されたい)。
(4)では、嘉永年間(1848-54)のものが4点あり、郡上藩の紙会所の具体的な取扱量がわかる。
(5)については、川合村には東本願寺の道場があり、当村を含めて八か組と称した。組内の道場では顕如・蓮如の絵像を交代で掲げていた。1846年(弘化3)の「蓮如様散銭帳」は、道場の賽銭や寄附金、本山への上納金などの記録である。また、文政年間(1818-30)の宗旨人別帳(6冊)がある。
(6)には川除普請に関するものや売券類が見られる。
否撮文書は、棟札写、道場・神社の建て替えに関するもの、地境に関するもの(撮影文書と同内容のもの)など22点。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.1045-1054 13点、通史編3 P.264・P.287・P.385、通史編4 P.363・P.383
県史以外の収載
『和泉村史』 『大野郡古文書目録』
複製本番号
L0012~L0024
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。