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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
K0041
資料群名
森孝利家文書
地域(近世,行政村,現在)
足羽郡獺ケ口村,下宇坂村獺ケ口,福井市獺ケ口町(美山町)
資料の年代
1864年(元治1)~1975年(昭和50)
資料目録件数
130
組織歴および履歴
獺ケ口村は剣ケ岳南麓、芦見川と足羽川の合流域に位置する。「越前地理指南」には西の川端に切通しがあり、長さ11間・幅5尺余で切通しのうちに洞窟があって口4尺奧へ2間で、美濃街道の難所であったという。福井藩領。村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」ともに238石余。上田重兵衛家文書(K0004)の「辰年御蔵入御物成納方土目録」(1677年 文書番号0028)によれば、年貢率3割5分、納米は口米ともに86石1斗1升、夫米11石9斗4升3合・雪垣代銀11匁9分4厘・山手銀143匁・川役銀5匁2分8厘・糠48俵・藁143束とある。
森家は金左衛門を名乗り、獺ケ口村の村役人や戸長などを務めた。
森家は金左衛門を名乗り、獺ケ口村の村役人や戸長などを務めた。
資料群の概要
調査・撮影点数は130点。大部分が明治以降の近現代資料である。
近世の資料は1864年(元治1)の「杪山覚帳」1点のみ。美山地域の杪は福井の人達の重要な燃料となっていた。杪は足羽川に流して運んでおり、上田家文書(K0004)の「乍恐口上書を以再返答奉申上候」(文書番号00119)によると、杪の流失をめぐり福井の勝見村と争っており、その流失が4万余とあることから、実に大量の杪が流しだされていたことがわかる。また、差出人には獺ケ口村を含む4ケ村の村役人の名が見えるが、当時、金左衛門は獺ケ口村の長百姓を務めていた。
近代資料は(1)戸長役場関係、(2)農業・林業関係、(3)土地売買・借用証関係、(4)その他に大別できる。
(1)には、「明治十四年普通物産表」や「獺ケ口村戸長役場費精算御届」、「村吏員及村会取調書」など約40点ある。
(2)には、「植樹御届」が2点ある。1904年(明治37)の資料には杉を1,800本・桧700本を植樹し、07年(明治40)の資料には栗1,500本植樹したとある。いずれも植樹奨励金を願い出ているが、これに対する福井県からの「奨励金下与状」は02年と03年のものしか残されていない。その他、「開墾地願」や「福井県蚕糸業組合之証」などがある。また、「日記」(年未詳)には、ほぼ1年にわたって林業・農業・蚕業の様子が書かれており、1年の農事生活の様子がうかがえる。
(3)には土地売券証書や金子借用証が約50点ある。
(4)には保険証券や郵便年金ちらしなどがある。
否撮カードはない。
近世の資料は1864年(元治1)の「杪山覚帳」1点のみ。美山地域の杪は福井の人達の重要な燃料となっていた。杪は足羽川に流して運んでおり、上田家文書(K0004)の「乍恐口上書を以再返答奉申上候」(文書番号00119)によると、杪の流失をめぐり福井の勝見村と争っており、その流失が4万余とあることから、実に大量の杪が流しだされていたことがわかる。また、差出人には獺ケ口村を含む4ケ村の村役人の名が見えるが、当時、金左衛門は獺ケ口村の長百姓を務めていた。
近代資料は(1)戸長役場関係、(2)農業・林業関係、(3)土地売買・借用証関係、(4)その他に大別できる。
(1)には、「明治十四年普通物産表」や「獺ケ口村戸長役場費精算御届」、「村吏員及村会取調書」など約40点ある。
(2)には、「植樹御届」が2点ある。1904年(明治37)の資料には杉を1,800本・桧700本を植樹し、07年(明治40)の資料には栗1,500本植樹したとある。いずれも植樹奨励金を願い出ているが、これに対する福井県からの「奨励金下与状」は02年と03年のものしか残されていない。その他、「開墾地願」や「福井県蚕糸業組合之証」などがある。また、「日記」(年未詳)には、ほぼ1年にわたって林業・農業・蚕業の様子が書かれており、1年の農事生活の様子がうかがえる。
(3)には土地売券証書や金子借用証が約50点ある。
(4)には保険証券や郵便年金ちらしなどがある。
否撮カードはない。
県史収載
 
県史以外の収載
 
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
閲覧できない資料あり。
複製本番号
K0336~K0340
関連資料一覧
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