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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
K0010
資料群名
田尻区有文書
地域(近世,行政村,現在)
足羽郡田尻村,下宇坂村田尻,福井市田尻町(美山町)
資料の年代
1589年(天正17)~1881年(明治14)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
田尻村は足羽川中流左岸で、三万谷川が足羽川に合流する地点に位置する。村高は39石余で、江戸時代を通じて福井藩領。
資料群の概要
1589年(天正17)山おろし状案、太閤検地帳をはじめとして、63点を撮影。
山おろし状案は田尻村の弥九郎が高田村から山手米7斗で山を預かったことを示す。山を預かった者が支払う請料が山手米と称されているのが注目される。このおろし山をめぐっては後に争論が起こり、1629年(寛永6)の扱状が残されている。
太閤検地帳は1598年(慶長3)のものがもう1冊あり、さらに1601年(慶長6)「田尻村田畑打立帳」と題された名寄帳も残されている。太閤検地帳でも「永荒」とされた畠地が多く、足羽川の蛇行地に立地する当村の耕地の不安定さを示している。文政期以降、対岸にある高田村との河川敷開田をめぐる争論文書が多く残されている。
否撮カードはない。
山おろし状案は田尻村の弥九郎が高田村から山手米7斗で山を預かったことを示す。山を預かった者が支払う請料が山手米と称されているのが注目される。このおろし山をめぐっては後に争論が起こり、1629年(寛永6)の扱状が残されている。
太閤検地帳は1598年(慶長3)のものがもう1冊あり、さらに1601年(慶長6)「田尻村田畑打立帳」と題された名寄帳も残されている。太閤検地帳でも「永荒」とされた畠地が多く、足羽川の蛇行地に立地する当村の耕地の不安定さを示している。文政期以降、対岸にある高田村との河川敷開田をめぐる争論文書が多く残されている。
否撮カードはない。
県史収載
資料編7 P.902-905 4点
県史以外の収載
長谷川裕子「江戸時代初期の越前に現れた「領」-結城秀康・松平忠直の領国支配機構-」(『福井大学教育地域科学部紀要』4 2014年)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
K0040~K0041
関連資料一覧
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