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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
K0004
資料群名
上田重兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
足羽郡椙谷村,上宇坂村椙谷,福井市椙谷町(美山町)
資料の年代
1601年(慶長6)~1967年(昭和42)
資料目録件数
2201
組織歴および履歴
椙谷村は、足羽川中流の右岸に位置し、村高は277石余。正保郷帳には杉谷村と表記される。江戸時代を通じて福井藩領。
上田家は朝倉時代からの「郷士」「頭百姓」と伝え(「由緒書覚」)、代々十兵衛(重兵衛)を名乗った。太閤検地では、居屋敷地1反2畝が除地とされた。1714年(正徳4)の持高は、椙谷村で45石余、小宇坂嶋村で41石余であった。福井藩の組頭を務めた。18世紀中ごろから伊坂姓を称したことがあり、明治に入り上田姓を称した。また、足羽川筋品ケ瀬前の留川番役も務めた。1869年(明治2)引立方世話役手伝、70年里長、71年第10区組合総代、72年1月足羽郡第2区戸長、同年7月足羽県第10区戸長、76年6月敦賀県第36大区小2区戸長となる。また、明治末から昭和初期にかけて上宇坂郵便局長を務めた。
上田家は朝倉時代からの「郷士」「頭百姓」と伝え(「由緒書覚」)、代々十兵衛(重兵衛)を名乗った。太閤検地では、居屋敷地1反2畝が除地とされた。1714年(正徳4)の持高は、椙谷村で45石余、小宇坂嶋村で41石余であった。福井藩の組頭を務めた。18世紀中ごろから伊坂姓を称したことがあり、明治に入り上田姓を称した。また、足羽川筋品ケ瀬前の留川番役も務めた。1869年(明治2)引立方世話役手伝、70年里長、71年第10区組合総代、72年1月足羽郡第2区戸長、同年7月足羽県第10区戸長、76年6月敦賀県第36大区小2区戸長となる。また、明治末から昭和初期にかけて上宇坂郵便局長を務めた。
資料群の概要
江戸期の資料は17世紀のものが多くみられる。これは当家が福井藩の組頭を務めたことによると考えられ、(1)土地台帳、(2)給人知行所の年貢免状や皆済状、(3)組内村々の年貢関係、(4)福井藩法令、(5)用水関係、(6)川漁関係、(7)売券・借用証文類、(8)出入関係、などに分けられる。
(2)の給人知行所年貢関係資料は福井藩の半知以前のもので他にみることができず、きわめて貴重なものであり、これに加えて十兵衛支配下の村々(蔵入地)の年貢資料もあり、これらをくらべることにより福井藩の年貢収納がよくわかる。
明治期の資料は当家良助が里長・組総代・戸長を務めた時期のものを中心に(1)用状・達類、(2)戸籍・職業調関係、(3)引立所関係、(4)義免籾関係、(5)桑・蚕、物産関係、(6)地租改正関係、(7)村々の物成・盛・諸税関係、(8)用水・川除普請関係、(9)学校関係、などに分けられる。このほか、戸長を辞めた以降のものに(10)椙谷村の盛・諸税関係、(11)上宇坂村役場関係、(12)昭和期の小作取立帳などがある。
否撮資料は2回目の調査の際の約70点のみで、香典帳、趣法講などである。
(2)の給人知行所年貢関係資料は福井藩の半知以前のもので他にみることができず、きわめて貴重なものであり、これに加えて十兵衛支配下の村々(蔵入地)の年貢資料もあり、これらをくらべることにより福井藩の年貢収納がよくわかる。
明治期の資料は当家良助が里長・組総代・戸長を務めた時期のものを中心に(1)用状・達類、(2)戸籍・職業調関係、(3)引立所関係、(4)義免籾関係、(5)桑・蚕、物産関係、(6)地租改正関係、(7)村々の物成・盛・諸税関係、(8)用水・川除普請関係、(9)学校関係、などに分けられる。このほか、戸長を辞めた以降のものに(10)椙谷村の盛・諸税関係、(11)上宇坂村役場関係、(12)昭和期の小作取立帳などがある。
否撮資料は2回目の調査の際の約70点のみで、香典帳、趣法講などである。
県史収載
『福井県史 資料編7 中・近世五』P.823-867 50点、『福井県史 通史編3 近世一』P.145-146・P.238・P.247・P.264・P.301・P.308・P.654、『福井県史 通史編4 近世二』P.166・P.396、『福井県史 通史編5 近現代一』P.65・P.677
県史以外の収載
『美山町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
K0008~K0090、K0177~K0270
関連資料一覧
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