国泰寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0112
資料群名
国泰寺文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡勝山城下,勝山町本町,勝山市元町
資料の年代
1623年(元和9)~1891年(明治24)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
国泰寺は黄檗宗の寺院。「国泰寺明細帳」によれば10世紀終わり頃は天台宗平泉寺の末寺で、南教坊と称し、神明社の別当を務めていた。のち南教坊が焼失、一時当寺は中絶したが、寛文年間(1661-73)、黄檗宗の僧喜雲が再興、本山万福寺直末の真照庵と改称した。さらに1678年(延宝6)、本山2世木庵禅師の弟子、霊潭が住持となり、90年(元禄3)総本山直末円福山国泰寺として寺号免許をうけた。
資料群の概要
撮影文書は3点を除き、いずれも近世文書で、(1)所領関係、(2)書状、(3)俳諧関係、(4)売券類、等に分けられる。
(1)は松平光長の神明領寄進状や初代藩主松平直基・2代藩主成政(直良)の安堵状、さらに市文化財に指定される小笠原貞信・信辰の寄進状などがある。
(2)は勝山藩主小笠原信辰からの各種挨拶状・「越前さい相」「中つかさ(松平宗昌か)」からの挨拶状などである。
(3)は美濃派俳諧で知られる比良野帰雲坊の俳諧である。同人は比良野八郎右衛門家(J-0021参照)8代正照であり、彼の作品が2点ある。
近代文書は足羽県の調査回答督促状、明細帳、松尾芭蕉没後200年の祭典記録・歌集である。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.557-558 5点
県史以外の収載
 
複製本番号
J1213
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。