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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0097
資料群名
宮川小兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡西俣村,鹿谷村北西俣,勝山市鹿谷町北西俣
資料の年代
1619年(元和5)~1868年(明治1)
資料目録件数
452
組織歴および履歴
西俣村は鹿谷奥に位置し、村高は545石余。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)大野藩領、33年(同10)幕府領福井藩預所、35年(同12)大野藩領、82年(天和2)幕府直轄領をへて1720年(享保5)鯖江藩領となり、1862年(文久2)幕府領に復した。1849年(嘉永2)で93軒(百姓86、水飲5、道場2)、456人。
当家は代々小兵衛・小平と称し、所蔵文書からは享保期以降、庄屋などの村役人をたびたび務めたことがわかる。
当家は代々小兵衛・小平と称し、所蔵文書からは享保期以降、庄屋などの村役人をたびたび務めたことがわかる。
資料群の概要
撮影資料約450点のうち、1619年(元和5)の田方(水帳)、畠小縄帳、山畠寄帳が最も古いが大部分は鯖江藩領になってからのものであり、(1)貢租、(2)支配・村方関係、(3)九頭竜川の渡船に関するもの、(4)売券類、(5)宗教、(6)私家文書、に大別される。
(1)享保期以降の年貢割付状35点、皆済目録33点があり、まとまってはいないが高并山手栗谷役指引帳などがある。
(2)年貢減免・延納・拝借米願などの願書類のほか、享保期以降、困窮を理由とした庄屋役などの村役の退役願、組分けして2名庄屋をたてる、6人で年番にするなどの願いが出されていた。なお、1849年(嘉永2)の「酉宗門人別男女共ニ改并五人組帳」では、婚姻・養子縁組、出稼・奉公先について詳細な記載があり、興味深い。
(3)比嶋の渡しは、当村をはじめ鹿谷地区の人々が対岸の勝山街道にでるための九頭竜川の渡しで、鹿谷10か村と比嶋村で舟組がつくられていた。吾田与三兵衛家文書参照。
(5)当村には、東西の本願寺派の道場があったため、この道場守に関連する願書・送り状類、また当家が福井の本覚寺を旦那寺としていたことに関連して、西本願寺派の宗教騒動「三業惑乱」関連の文書が含まれる。
(6)1755年(宝暦5)弟に世帯分けするにあたり、譲渡する田畑とは別に諸道具を書き上げた覚がある。
否撮カードは、約200点(一紙文書170点、長帳類30点)にのぼるが、勝山市史手書目録からあらかじめカードを作成し、原本と照合する形で調査を行ったと考えられ、撮影資料と一部重複が見られる。内容的には借用証文、年未詳の願書類、祝儀・香典帳などである。
(1)享保期以降の年貢割付状35点、皆済目録33点があり、まとまってはいないが高并山手栗谷役指引帳などがある。
(2)年貢減免・延納・拝借米願などの願書類のほか、享保期以降、困窮を理由とした庄屋役などの村役の退役願、組分けして2名庄屋をたてる、6人で年番にするなどの願いが出されていた。なお、1849年(嘉永2)の「酉宗門人別男女共ニ改并五人組帳」では、婚姻・養子縁組、出稼・奉公先について詳細な記載があり、興味深い。
(3)比嶋の渡しは、当村をはじめ鹿谷地区の人々が対岸の勝山街道にでるための九頭竜川の渡しで、鹿谷10か村と比嶋村で舟組がつくられていた。吾田与三兵衛家文書参照。
(5)当村には、東西の本願寺派の道場があったため、この道場守に関連する願書・送り状類、また当家が福井の本覚寺を旦那寺としていたことに関連して、西本願寺派の宗教騒動「三業惑乱」関連の文書が含まれる。
(6)1755年(宝暦5)弟に世帯分けするにあたり、譲渡する田畑とは別に諸道具を書き上げた覚がある。
否撮カードは、約200点(一紙文書170点、長帳類30点)にのぼるが、勝山市史手書目録からあらかじめカードを作成し、原本と照合する形で調査を行ったと考えられ、撮影資料と一部重複が見られる。内容的には借用証文、年未詳の願書類、祝儀・香典帳などである。
県史収載
『福井県史 資料編7 中・近世五』P.762-768 5点、『福井県史 通史編3 近世一』P.614・P.786
県史以外の収載
『勝山市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
J0795~J0814
関連資料一覧
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