管理セクション
福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0094
資料群名
山内勘兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡本郷村,鹿谷村本郷,勝山市鹿谷町本郷
資料の年代
1721年(享保6)~1940年(昭和15)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
本郷村は、勝山盆地の南西部、九頭竜川中流左岸の鹿谷の中心部に位置し、西を西俣川、東を鹿谷川が流れる。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)大野藩領、82年(天和2)幕府領福井藩預り地、86年(貞享3)幕府領直轄地、92年(元禄5)美濃郡上藩領、97年(元禄10)再び幕府領直轄地、1720年(享保5)鯖江藩と幕府の相給、1862年(文久2)からは幕府領。村高は「正保郷帳」で879石余、「元禄郷帳」では本郷村781石余と同村枝郷門前98石余に分かれており、「天保郷帳」では本郷村781石余とある。
1861年(文久1)の宗門人別改帳(00082)では、本郷村の家数は20軒、人数95人(男50、女45)であった。
山内家は、少なくとも天明期(1781~89年)には勘兵衛を名乗り、寛政期(1789~1801年)から幕末にかけて本郷村の庄屋を務めた。さらに明治期に入って、勘三郎が里長、1870年から81年にかけて戸長を務めていた。
1861年(文久1)の宗門人別改帳(00082)では、本郷村の家数は20軒、人数95人(男50、女45)であった。
山内家は、少なくとも天明期(1781~89年)には勘兵衛を名乗り、寛政期(1789~1801年)から幕末にかけて本郷村の庄屋を務めた。さらに明治期に入って、勘三郎が里長、1870年から81年にかけて戸長を務めていた。
資料群の概要
資料群は、おもに本郷村の村方文書と山内家の家文書から構成されている。
江戸時代の村方文書は、1721年(享保6)の「本郷村之内鯖江御領分高分帳」(00075)をはじめとして、文化期以降の年貢金納覚帳、物成米金目録勘定帳(1819~42年)、年貢割付状(1790~1824年)、天保期の村盛割符帳など約80点ほどである。
それ以降は、山内勘三郎が戸長を務めた明治初年から15年までの戸長役場文書がある。このうち戸籍関係約40点と学制当初からの学校関係約40点が比較的まとまって残っている。学制発布当初に本郷村が差出した学校(区塾)設立「見込書」(00431)、鹿渓小学校・甲淵小学校等の経費関連、不就学届、他校との「小学校生徒講習会」(比較試験)の記録(00245・00274)、鹿渓小学校の新築献金書上帳(00275)などがある。
また1874・75年の『敦賀県報告書』が、巻1から18(巻2欠)、1876年の巻1から14までが揃っている。
山内家の家文書は、文政期から昭和戦前期までの小作のおろし帳・取立帳、金穀貸借・貸付帳などを中心に約90点ほどである。
否撮カード(所在を確認したが、撮影しなかった資料)はない。
江戸時代の村方文書は、1721年(享保6)の「本郷村之内鯖江御領分高分帳」(00075)をはじめとして、文化期以降の年貢金納覚帳、物成米金目録勘定帳(1819~42年)、年貢割付状(1790~1824年)、天保期の村盛割符帳など約80点ほどである。
それ以降は、山内勘三郎が戸長を務めた明治初年から15年までの戸長役場文書がある。このうち戸籍関係約40点と学制当初からの学校関係約40点が比較的まとまって残っている。学制発布当初に本郷村が差出した学校(区塾)設立「見込書」(00431)、鹿渓小学校・甲淵小学校等の経費関連、不就学届、他校との「小学校生徒講習会」(比較試験)の記録(00245・00274)、鹿渓小学校の新築献金書上帳(00275)などがある。
また1874・75年の『敦賀県報告書』が、巻1から18(巻2欠)、1876年の巻1から14までが揃っている。
山内家の家文書は、文政期から昭和戦前期までの小作のおろし帳・取立帳、金穀貸借・貸付帳などを中心に約90点ほどである。
否撮カード(所在を確認したが、撮影しなかった資料)はない。
県史収載
通5 p.86・p.242-243
県史以外の収載
橋本唯子「明治5年博覧会資料について」『福井県文書館研究紀要』10、2013.2(00631翻刻)
『勝山市史』資料編3 p.620-652
『勝山市史』資料編3 p.620-652
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
J0863~J0880、J1469~J1558
関連資料一覧
縮小画像の表示/非表示
表示
件
表示順