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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0050
資料群名
久保長右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡畔川村,猪瀬村畔川,勝山市立川町
資料の年代
1575年(天正3)~1873年(明治6)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
畔川村は九頭竜川中流右岸に位置する。1582年(天正10)頃に実質的に村が成立し、当時は「新村」とよばれたようであるが、翌83年(天正11)、村の人々は居住を放棄したらしく、柴田勝安は夫役に替えて牛1頭を差し出すことを認め、彼らに還住を命じている。江戸時代にははじめ福井藩領、1624年(寛永1)勝山藩領、1644年(正保1)幕府領福井藩預所、1686年(貞享3)幕府直轄領、1691年(元禄4)から再び勝山藩領となった。村高は377石余で、のち大組と小組に分かれている。
当家は江戸時代中期以降、代々長右衛門を名乗り、庄屋を務めた。1816年(文化13)には小組141石余のうち52石余を所有している。
当家は江戸時代中期以降、代々長右衛門を名乗り、庄屋を務めた。1816年(文化13)には小組141石余のうち52石余を所有している。
資料群の概要
撮影文書のうち、中世文書7点、近代文書4点で、残りはすべて近世文書である。
中世文書では、1575年(天正3)9月付けの府中三人衆宛織田信長条書写や、柴田勝家の甥で、養子となって勝山に拠点を持った勝安の判物、丹羽長秀の家臣成田重政の書状写などがあり、彼らの大野郡支配や当村の実質的な成立を知る上で貴重である。
近世文書は(1)検地帳類、(2)貢租、(3)家関係、(4)土地争論、(5)売券類、などがある。
(1)は1598年(慶長3)の太閤検地帳の写、1625年(寛永2)の検地帳の写など。
(2)は年貢皆済目録(3通)や年貢の村割帳・盛帳、郷盛についての取り決め(県史収載)などがある。
(3)には奉公人の請状や相続に関する一札などがある。
(4)には河原境をめぐる下高島村との争論がある。九頭竜川がしばしば流路を変えたため、両村の境界が不明になり、1738年(元文3)以前の取り決めを遵守するということで内済となっている。また、同村で共同で買い取った土地の権利をめぐる争いも見られる。
近代文書は売券と高札の写(2点)、勝山法栄寺に寄進した土地の地代に関わる願状である。
否撮文書は売券類約190点をはじめ、祝儀・香典帳、小作米差引帳、留帳、盛帳などを中心に約390点。
中世文書では、1575年(天正3)9月付けの府中三人衆宛織田信長条書写や、柴田勝家の甥で、養子となって勝山に拠点を持った勝安の判物、丹羽長秀の家臣成田重政の書状写などがあり、彼らの大野郡支配や当村の実質的な成立を知る上で貴重である。
近世文書は(1)検地帳類、(2)貢租、(3)家関係、(4)土地争論、(5)売券類、などがある。
(1)は1598年(慶長3)の太閤検地帳の写、1625年(寛永2)の検地帳の写など。
(2)は年貢皆済目録(3通)や年貢の村割帳・盛帳、郷盛についての取り決め(県史収載)などがある。
(3)には奉公人の請状や相続に関する一札などがある。
(4)には河原境をめぐる下高島村との争論がある。九頭竜川がしばしば流路を変えたため、両村の境界が不明になり、1738年(元文3)以前の取り決めを遵守するということで内済となっている。また、同村で共同で買い取った土地の権利をめぐる争いも見られる。
近代文書は売券と高札の写(2点)、勝山法栄寺に寄進した土地の地代に関わる願状である。
否撮文書は売券類約190点をはじめ、祝儀・香典帳、小作米差引帳、留帳、盛帳などを中心に約390点。
県史収載
資料編7 P.551-555 11点、通史編3 P.56・P.71・P.74・P.303
県史以外の収載
『勝山市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
J0620~J0625
関連資料一覧
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