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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0049
資料群名
山内源太夫家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡細野村境開地,荒土村細野,勝山市荒土町細野(境)
資料の年代
1597年(慶長2)~1873年(明治6)
資料目録件数
309
組織歴および履歴
細野村は九頭竜川中流右岸の支流、皿川の最上流部に位置する。はじめ福井藩領、24年(寛永1)勝山藩領、44年(正保1)幕府領福井藩預所、86年(貞享3)幕府直轄領、92年(元禄5)から美濃国郡上藩領となる。村高は736石余。戸倉・西ケ原・新道・境の四垣内(開地・ケ市と記す)に分かれる。
山内家は庄屋など村役人を務めた。なお『勝山市史』では山内清三郎文書として掲載されている。
山内家は庄屋など村役人を務めた。なお『勝山市史』では山内清三郎文書として掲載されている。
資料群の概要
撮影資料は村方・山方・貢租関係など約300点を数えるが、とくに村方関係で1828年(文政11)に発生した勝山一揆関係資料約50点に特色がある。
この一揆は郡上藩領野津又村庄屋伝兵衛が横倉村の御立山の木を勝手に伐ったということで、同年7月27日夜、近隣60か村ほどの農民が伝兵衛家の土蔵を打毀し、さらに勝山藩に対して銀札の価格改善等を要求した事件である。この一揆は鎮圧され、幕府寺社奉行の吟味となり、参加したとされる村々の惣代が次々と江戸表に召還された。
当家資料の多くは、細野村清三郎が村惣代として出府した時の父(源太夫)や村役人に宛てた書状と出府中の入用金に関する資料である。このほか、事件の発端となった伝兵衛伐木に関するもの、一揆当初の様子がうかがえる勝山藩郡奉行の書状、それに一揆の要因を示す伝兵衛の上申書などもある。
否撮カードは近世後期の年貢納通約50通と売券類約50点などを中心に約110点。このうち近代資料は「明治九年第二大区石川県管下私学校表」「福井県第二・第三学事年報」のみであり、調査記録には「約500点の庄屋・戸長文書群」とあることから明治初年の戸長役場関係資料には未調査の部分があると思われる。
この一揆は郡上藩領野津又村庄屋伝兵衛が横倉村の御立山の木を勝手に伐ったということで、同年7月27日夜、近隣60か村ほどの農民が伝兵衛家の土蔵を打毀し、さらに勝山藩に対して銀札の価格改善等を要求した事件である。この一揆は鎮圧され、幕府寺社奉行の吟味となり、参加したとされる村々の惣代が次々と江戸表に召還された。
当家資料の多くは、細野村清三郎が村惣代として出府した時の父(源太夫)や村役人に宛てた書状と出府中の入用金に関する資料である。このほか、事件の発端となった伝兵衛伐木に関するもの、一揆当初の様子がうかがえる勝山藩郡奉行の書状、それに一揆の要因を示す伝兵衛の上申書などもある。
否撮カードは近世後期の年貢納通約50通と売券類約50点などを中心に約110点。このうち近代資料は「明治九年第二大区石川県管下私学校表」「福井県第二・第三学事年報」のみであり、調査記録には「約500点の庄屋・戸長文書群」とあることから明治初年の戸長役場関係資料には未調査の部分があると思われる。
県史収載
資料編7 P.782-800 19点、通史編4 P.595-597・P.750
県史以外の収載
『勝山市史』、本川幹男「「勝山」における百姓一揆について」『福井県地域史研究』創刊号、同「文政十一年、越前勝山一揆について」『日本海地域史研究』8
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
J0579~J0594
関連資料一覧
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