大久保吉右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0027
資料群名
大久保吉右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡聖丸村,野向村聖丸,勝山市野向町聖丸
資料の年代
1629年(寛永6)~1873年(明治6)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
聖丸村は、勝山市の北、滝波川中流右岸に位置する。福井藩領から、1624年(寛永1)勝山藩領、44年(正保1)幕府領福井藩預所、86年(貞享3)幕府直轄領を経て、91年(元禄4)再び勝山藩領となった。村高は600石7斗2升であったが、滝波川の氾濫により度々被害を蒙る土地柄であった。
当家は、結城秀康の家臣鈴木多宮の孫を養子に迎えたと伝え(勝山市史)、1749年(寛延2)「聖丸村高付覚」(藤井寛治家文書)によれば、同村惣高のうち、同家が約半分の315石4斗2升4勺を占めている。庄屋役など村役を務め、家格は御目見百姓で、1838年(天保9)には苗字帯刀を許されている。また明治初年には、戸長、地租改正総代人などを務めている。
資料群の概要
撮影文書は、近世文書が中心で、なかでも当村の北東に隣接する深谷村と共同で滝波川上流の薬師村から引いていた用水の管理や、滝波川の氾濫による川欠に関する資料などが大半を占める。注目されるのは、寛永年間(1624-1643)の松平直基・直良時代の数通の文書で、これらによると、当村は太閤検地により過重な村高が設定されたようで、1629年(寛永6)には「たをれ者・走者」が生じたため高186右を引高とし、夫銀・諸役を免許されたことがわかる。
否撮カードは約70枚。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.536-538 5点、通史編3 P.190
県史以外の収載
『勝山市史』
複製本番号
J0492~J0508
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。