梅田治右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0022
資料群名
梅田治右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡平泉寺村,平泉寺村平泉寺,勝山市平泉寺町
資料の年代
1647年(正保4)~1875年(明治8)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
平泉寺村は九頭竜川支流の女神(おながみ)川扇状地の扇頂に位置する。はじめ福井藩領で、1624年(寛永1)勝山藩領、44年(正保1)幕府領福井藩預地、86年(貞享3)幕府直轄領を経て91年(元禄4)からは再び勝山藩領となった。「元禄郷帳」による村高は2874石余(白山神社朱印地200石を含む)の大村で、枝村として岡・赤尾・安ケ市があった。
家伝によれば梅田家は加賀国江沼郡梅田郷の出とされ、のち勝山町に移った。火災を機に1704年(元禄17)平泉寺村に本拠を移した。
当家は1707年(宝永4)には平泉寺村のうち350石余を買い取るなど絶大な経済力を持つものの村役人等になることはなかった。しかし藩の御用金を引き受けて御目見席を許され、1852年(嘉永5)には大庄屋となった。
資料群の概要
撮影文書1177点は近代文書5点以外はすべて近世文書で、(1)売券・借用証文、(2)家関係、(3)土地関係、(4)巡見使関係、(5)その他、に分けられる。
(1)は寛文期から明治期まで900点弱あり、否撮文書も含めれば大正期まで連続して存在する。
(2)は藩の御用金やそれに関連する拝領物、家格の昇進申渡書、家格昇進に伴う祝儀留帳、大庄屋役関係(役割書留・文例集・退役願等)などである。
(3)は1647年(正保4)の検地帳のほか、散田割が数多く残され、当家が平泉寺村に移住したのちも土地の集積を進めたことを示すものである。また土地をめぐる争論では、持山への無断立入・草刈りに対する詫状が残されている。また(1)にあげた買得地をおろし作としたため、請作証文も非常に多い。
(4)は1838年(天保9)の巡見関係である。
(5)は県史収載の安永・天明期災害書留があり、浅間山の噴火や飢饉の様子が生々しく描写されている。また塩市関連の願書は、塩売りのルートや勝山町内の様子が知られ貴重である。この他「食事遣物一巻表」は当家のハレの日の食事などが分かり興味深い。
否撮カードは約370点記録されており、その主な内容は検地帳書抜、年貢請取通、書状類、婚礼・葬儀等の記録、田畑おろし帳、日記などである。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.526-P.535 9点、通史編3 P.302、通史編4 P.115・P.489・P.583
県史以外の収載
『勝山市史』
複製本番号
J0326~J0367
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。