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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0021
資料群名
比良野八郎右ヱ門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡竜谷村,野向村竜谷,勝山市野向町竜谷
資料の年代
1598年(慶長3)~1869年(明治2)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
竜谷村は九頭竜川支流滝波川右岸の段丘に位置する。はじめ福井藩領で、1624年(寛永1)勝山藩領、44年(正保1)幕府領福井藩預地、86年(貞享3)幕府直轄領を経て91年(元禄4)からは再び勝山藩領となった。村高は846石余。
比良野家は深谷村平野家の出と伝え、1692年(元禄5)勝山藩主の御目見を許されて代々同藩の大庄屋を務めた。一時平野姓を名乗ったが8代正照の時再び比良野姓に戻した。正照は帰雲坊と称し、美濃派俳諧で知られる。
比良野家は深谷村平野家の出と伝え、1692年(元禄5)勝山藩主の御目見を許されて代々同藩の大庄屋を務めた。一時平野姓を名乗ったが8代正照の時再び比良野姓に戻した。正照は帰雲坊と称し、美濃派俳諧で知られる。
資料群の概要
中世文書2点(検地帳)・近代文書2点(鯖波宿伝馬規定連判状、触書写)を除く132点が近世文書であり、(1)宗門関係、(2)巡見使、(3)年貢関係、(4)用留・記録類、(5)家関係、(6)その他、に大別される。
(1)には宗門改帳(寛政4年-嘉永5年)のほか、「御領分惣百姓水呑家数人数并牛馬改帳」があり、勝山藩の戸口や村況を知る手がかりとなる。
(2)では1746年(延享3)・61年(宝暦11)の巡見のほか、藩主が当家に立ち寄った際の記録がある。
(4)では「永代記録帳」「御用留」など1774年(安永3)以降、1845年(天保6)までの記録があり、大野藩の一揆、1796年(寛政8)勝山藩でおこった「奥山騒動」、1828年(文政11)の一揆や天明の大飢饉などの様子を知ることができる。
(5)では借用証文や田畑のおろし米に関するもののほか、「当家中絶濫觴」と記された書物がある。これは明和年間(1764-70年)に当家が塩原七百人(藩主の不興を買い処分された)に通じたとされ罰金、さらには土地・家財を取り上げられ倅藤蔵とともに追放となり、親類森川村清左衛門らが江戸出訴も辞さない覚悟で願書を出し、ようやく無罪となった顛末が詳細に記されている。
(6)には勝山藩が財政難に陥ったため、平泉寺玄成院役僧に勝手方改革を依頼した際の仕法書、1797年(寛政9)の郷盛騒動の記録等がある。
(1)には宗門改帳(寛政4年-嘉永5年)のほか、「御領分惣百姓水呑家数人数并牛馬改帳」があり、勝山藩の戸口や村況を知る手がかりとなる。
(2)では1746年(延享3)・61年(宝暦11)の巡見のほか、藩主が当家に立ち寄った際の記録がある。
(4)では「永代記録帳」「御用留」など1774年(安永3)以降、1845年(天保6)までの記録があり、大野藩の一揆、1796年(寛政8)勝山藩でおこった「奥山騒動」、1828年(文政11)の一揆や天明の大飢饉などの様子を知ることができる。
(5)では借用証文や田畑のおろし米に関するもののほか、「当家中絶濫觴」と記された書物がある。これは明和年間(1764-70年)に当家が塩原七百人(藩主の不興を買い処分された)に通じたとされ罰金、さらには土地・家財を取り上げられ倅藤蔵とともに追放となり、親類森川村清左衛門らが江戸出訴も辞さない覚悟で願書を出し、ようやく無罪となった顛末が詳細に記されている。
(6)には勝山藩が財政難に陥ったため、平泉寺玄成院役僧に勝手方改革を依頼した際の仕法書、1797年(寛政9)の郷盛騒動の記録等がある。
県史収載
資料編7 P.663-685 9点、通史編4 P.114-116・P.527・P.586・P.589・P.590・P.593-595・P.689・P.752、資料編14 P.169
県史以外の収載
『勝山市史』、相模誓雄「近世期の九頭竜川流域における御蔵所の空間構成に関する研究-福井藩と勝山藩の比較から-」(『日本建築学会計画系論文集』78 2013年)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
J0467~J0490
関連資料一覧
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