法勝寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
J0019
資料群名
法勝寺文書
地域(近世,行政村,現在)
(大野郡大野町),(大野郡大野町),勝山市沢町
資料の年代
1584年(天正12)~1853年(嘉永6)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
北袋山法勝寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、当寺は1923年(大正12)に、大野市錦町所在の長勝寺(I0084参照)から分立、所蔵文書はその時に長勝寺から引き継いだ。また寺号はその際に足羽郡東大味村の法勝寺から譲り受けたものである。
資料群の概要
撮影点数は41点で、中世文書14点のうち資料編掲載の12点は、東西本願寺分立に至る地方門徒の動向を知る上で注目すべき資料である。
すなわち、文書旧所蔵の長勝寺は、戦国期には藤島超勝寺の末寺として活躍している。1580年(天正8)の石山合戦末期には、長勝寺門徒の一部の「穴馬八ケ衆中」らは主戦派の教如(のちの東派)方に属したようであるが、合戦終了後は顕如方が巻き返し、衆中は長勝寺への帰参を誓約している。1592年(文禄1年)になって顕如が死去したので、教如がその跡を継承するが、豊臣秀吉は翌年教如に隠退を命じ、代わって准如(のちの西派)を取り立てた。その結果、「穴馬八ケ衆中」らは准如および長勝寺に対して不参の態度をとるに至る。やがて「穴馬八ケ衆中」は再び長勝寺への帰参を誓約して一応落着にこぎつけた。ところが1602年(慶長7)に至って、教如は徳川家康から寺地を寄進されて東本願寺を立てることとなったので、長勝寺門徒はまたもや不参事件を引き起こしている。
近世文書には、寺格に関する本願寺宛願書控、本願寺布達、略縁起などがある。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.702-709 12点、通史編2 P.765
県史以外の収載
 
複製本番号
J0491
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。