麦屋文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0155
資料群名
麦屋文書
地域(近世,行政村,現在)
大野本町,大野町一番下町,大野市本町
資料の年代
1616年(元和2)~1945年(昭和20)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
一番町は本町とも称し、大野城下の碁磐目状の町屋の一番大野城に近い南北の通に当たり、うち東西の目抜き通り七間より北は下町。1743年(寛保3)の町絵図(「奥越史料」所収)では、上町の町高29石余で家数48軒、下町は43石余、75軒であった。下町は美濃街道にそって商家が並んでおり、53年(宝暦3)の酒造米石高人別帳(「大野町史」所収)では酒造家は上町1軒、下町9軒とある。
当家は現在、大野市元町で酒造業を営んでおり、1619年(元和5)初代麦屋仁兵衛が創業し、現在は20代目に当るという。先の宝暦3年の史料では麦屋仁兵衛は造石高310石5斗で、これは酒造家30軒中4位の造石高であり、役銀105匁7分余を納めて、すでに大野では中心的な酒造家であった。
資料群の概要
当家史料で最も古いものに1616年(元和2)の宝慶寺銀山関係史料があり、また明和安永期の打波池ケ原の鉱山にも資本を投入していたことがわかる。酒造業関係では文化年間の「酒家譜(株)」譲渡に関するものなどがあり、他に藩の御用金に関するものなど藩の有力商人としての経営史料もある。加えて当家文書の特色はその大半を占める売券や借用証文にある。1666年(寛文6)以来明治期に至るまで、特に奥越山間部諸村との間でとり交わしたものが中心で、これらから生産の不安定な山間部の厳しい生活の様子を窺うことができる。それによれば不作などの際、食料などの生活費を大野の有力町人から借り受け、7年から25年にわたって年賦償還している。質物は田・畑・山林などが中心であるが、家財あるいは仏壇仏具などのほか、米・粟・稗や木炭・和紙などの生産物で年賦償還する例も見られる。また1809年(文化6)「永代流切相渡申田地証文之事」のようにアワ(表層雪崩)により一家全滅したため質流となった特殊なものも含まれている。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
『大野町史』
複製本番号
I1713~I1739
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。