光明寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0142
資料群名
光明寺文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡犬山村,乾側村犬山,大野市犬山町
資料の年代
1608年(慶長13)~1901年(明治34)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
光明寺は福井からの街道が大野城下に入る手前、茜川にかかる大橋のたもとに立地する(電話帳の住所は上中野大橋)。浄土真宗本願寺派で山号は一乗山。初代空然が蓮如に帰依し一乗谷に一宇を創建したのに始まるといい、1901年(明治34)「明細帳」には「文明三年同国大野郡犬山城下に移転、又慶長六年同郡水落ニ移リ、承応二年同郡下庄村大字中野ニ移転、其後文政八年現所在地ヘ移転」とある。
資料群の概要
撮影点数は28点、資料編掲載の「(本願寺准如消息写)」のほか、「(伝蓮如御書)」「(顕如法名授与記)」など年代の確定できない資料が数点あり、いずれも軸装されている。近世文書は、由緒書、用留類、宗門人別帳などの冊子類のみ。用留類は本山の京都興正寺が本願寺と争った際の本末に関するもの、明治期の大門村門徒の離脱騒擾に関するものなどが中心。1826年(文政9)「邪宗門御糾明帳」によれば当寺の檀家数は359で、うち上下大門村105、大野町54、中野村49、山間部(大谷・面谷山・中嶋・上秋生・下伊勢・久沢)101となっており、他の寺の事例はよくわからないが、かなり特異な分布といえよう。なお、1759年(宝暦9)「越前国大野郡穴馬大谷村宗旨御改帳」によると、大谷村の旦那寺は光明寺18軒、郡上八幡長教寺(大谷派)7軒、大野町長勝寺(本願寺派)1軒となっている。
否撮資料なし。
利用条件
閲覧できない資料あり。
県史収載
資料編7 P.126-127 1点
県史以外の収載
『大野市史』
複製本番号
I1448~I1452
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。