管理セクション
福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0131
資料群名
安川與左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡中据村,上庄村中据,大野市中据
資料の年代
1648年(慶安1)~1945年(昭和20)
資料目録件数
893
組織歴および履歴
中据村は大野盆地の中央部やや南に位置し、西にはかって新田野と呼ばれた原野が広がっていた。村高は508石余、はじめ福井藩領、1624年(寛永1)以降大野藩領。1858年(安政5)の家数37軒、人数190人である。
安川家は与左衛門を名乗り、庄屋などの村役人を務めた家である。1858年の持高は29石余。当家の円蔵は、1813年(文化10)大野町の商家沢屋の手代に入り、32年(天保3)から藩の銅山役所や産物役所の手代となり、57年(安政4)には「一代切徒士並」に取り立てられた。幕末から明治・大正にかけて石灰山の経営にあたり、さらに貸金業にも携わっていた。
安川家は与左衛門を名乗り、庄屋などの村役人を務めた家である。1858年の持高は29石余。当家の円蔵は、1813年(文化10)大野町の商家沢屋の手代に入り、32年(天保3)から藩の銅山役所や産物役所の手代となり、57年(安政4)には「一代切徒士並」に取り立てられた。幕末から明治・大正にかけて石灰山の経営にあたり、さらに貸金業にも携わっていた。
資料群の概要
資料点数は合わせて約1,700点、うち約900点を撮影した。当家の所蔵資料の半数は近世文書であり、この中に一部寶慶寺の中世文書写がふくまれる。近世文書は、(1)触書、(2)年貢関係、(3)人別帳類、(4)入会山や越石をめぐる争論、(5)用水関係、(6)売券・借用証文類、(7)面谷銅山関係、(8)石灰山・炭焼関係、(9)水戸浪士関係、(10)家関係、などに分けられる。
(4)には、1736年(元文1)に始まる宝慶寺村との志目木谷山をめぐる出入、52年(宝暦2)からの入会の野畑林畑の秣場をめぐる出入などがあり、いずれも江戸公訴となった。
近代文書は、(1)幕末から昭和20年までの小作米取立帳類、(2)石灰山経営関係、(3)諸税領収書類、(4)借用証文・貸借帳類、(5)学校関係、などに分けられる。(2)の石灰山は今井山と志目木谷の2か所にあり、当家が製灰所を経営しており、その勘定帳や人足賃帳などがある。(4)の借用証文の金高は大きく、通常の借金ではなく、金融業の一端と考えられる。借り先には旧大野藩士内山や大熊・長谷川らの名がある。
否撮資料は、江戸末期から明治・大正期にかけてのもので、物成・盛関係、小作米取立帳類、借用証文、石灰・炭関係、教育関係などがある。
(4)には、1736年(元文1)に始まる宝慶寺村との志目木谷山をめぐる出入、52年(宝暦2)からの入会の野畑林畑の秣場をめぐる出入などがあり、いずれも江戸公訴となった。
近代文書は、(1)幕末から昭和20年までの小作米取立帳類、(2)石灰山経営関係、(3)諸税領収書類、(4)借用証文・貸借帳類、(5)学校関係、などに分けられる。(2)の石灰山は今井山と志目木谷の2か所にあり、当家が製灰所を経営しており、その勘定帳や人足賃帳などがある。(4)の借用証文の金高は大きく、通常の借金ではなく、金融業の一端と考えられる。借り先には旧大野藩士内山や大熊・長谷川らの名がある。
否撮資料は、江戸末期から明治・大正期にかけてのもので、物成・盛関係、小作米取立帳類、借用証文、石灰・炭関係、教育関係などがある。
県史収載
資料編7 P.449-463 9点、通史編4 P.725・P.917、通史編5 P.582
県史以外の収載
『大野市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
I1168~I1187、I1370~I1401
関連資料一覧
縮小画像の表示/非表示
表示
件
表示順