城地六右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0119
資料群名
城地六右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡蕨生村,富田村蕨生,大野市蕨生
資料の年代
1640年(寛永17)~1869年(明治2)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
蕨生村は九頭竜川と真名川に挟まれた塚原野南部に位置する。村名は早く1505年(永正2)「蕨生郷」(洞雲寺文書)とみえる。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)木本藩領、35年福井藩預り所、86年(貞享3)幕府直轄領をへて、91年(元禄4)以降勝山藩領となった。
村高は正保郷帳762石余であったが、95年(元禄8)の勝山藩の検地により167石余が打ち出され(「小笠原家譜」『勝山市史』資料編1)、さらに天保郷帳では943石余に増加している。枝村に上唯野・大中野があった。
当家は代々六右衛門、陸右衛門を名乗り、庄屋・長百姓を務めることが多かった。村内小字に「城地出」があって、同家は早くから周辺の新開に関係したと思われる。近代では1910(明治43)-11年富田村長、27-31年県会議員を務めた。
資料群の概要
撮影資料には、江戸中後期の村方のようすがうかがえるものが豊富であり、(1)土地・貢租、(2)村方一般・騒動、(3)用水争論、(4)農作業記録、「家伝永録記」など、(5)譲り状、替地証文、借用証文などに大別できる。
(1)には1736年(元文1)の隣村下唯野村検地帳写、幕府領から勝山藩領に移った1687年(貞享4)-95年(元禄8)の割付状・皆済目録9点、これ以降天保期までの物成勘定帳14点が含まれる。
(2)では村の困窮とそれに関連する村方騒動の文書が多い。勝山藩領になって以降、増加した年貢負担を背景に村内が郷盛・村盛や村役人等をめぐってたびたび組分れを繰り返した。組は大組と小組、時には越石組に分かれて対立し、それぞれ庄屋以下の村役人を立て、藩もこれを追認していた点が興味深い。勝山藩領の顕著にみられる組分れの問題は時期や村内の条件により様々な形態をとることがうかがえる(通史編3参照)。
(3)には当家が下唯野村にも越石をもっていたため、1780年(安永9)に九頭竜川下流の森目・土打・富島・上野の四ケ村用水が下唯野村地内でも取水するようになったことをめぐる争論の願書類写、下唯野川原開田関係の文書がまとまって残されている。
(4)資料編掲載の「家伝永録記」は、年中の各作物の蒔き時や栽培方法、代掻きの方法等を記している。また「家格代飯帳」は江戸中期の物と推定され、日常の食事、ハレの日の食事などがわかる。
(5)譲り状は、1653年(承応2)をはじめとして数点残されている。
否撮カードによると、高割物覚帳、物成勘定帳、万付込覚帳、小作おろし帳、耕作日記帳(1853、60、61年)など長帳類60冊余、売券・借用証文174点が未撮影である。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.178-211 20点、通史編3 P284-286、P.323、P.778、通史4 P.234
県史以外の収載
『福井県古文書所在調査報告書』『大野市史』
複製本番号
I1099~I1112
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。