山川彦右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0106
資料群名
山川彦右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡柿ケ島村,阪谷村柿ケ島,大野市柿ケ島
資料の年代
1694年(元禄7)~1876年(明治9)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
柿ケ島村は九頭竜川が大野盆地に流れ出る所の右岸、経が岳の泥流堆積地が九頭竜川に侵食された所に位置する。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)木本藩領、1635年(同12)幕府領福井藩預り地、1637年(同14年)福井藩領、1686年(貞享3)幕府領、1691年(元禄4)から勝山藩領。村高は正保郷帳では567石余だが、元禄郷帳では581石余。山川家は彦右衛門を称し、村庄屋などを務めた。
資料群の概要
170点余の撮影資料のうち約100点は売券類で、残りの大部分を占める村方関係に特色がある。
その主なものは、組分けに関する村方騒動の資料である。すなわちこの村では、1736年(元文1)9月、村の諸盛割方をめぐって大小の百姓が争った結果、人足郷盛を高6分・家4分、村盛銀は高4分、家6分とすることなどを確認し済口証文を結ぶ。しかし1758年(宝暦8)には再び同様の問題から村内が二つに分れて対立し、藩の裁定により、組分けが認められる。その後一時両組は解消されたが、1770年(明和7)再び大組と小組に分れており、このとき小組では従来の割方が小百姓や雑家に不利だからと新規の村規定をつくっている。このような組分けをめぐる騒動は、勝山藩領の村々に顕著な事例といわれる(城地六右衛門家文書参照)。その他、1734年(享保19)「覚(盗人取締ニ付)」は、盗人摘発のために入札を行ったことを示す資料で、内容は、庄屋宅に入札箱を掛けて置き、1年に3回開いて、盗人とされた者は五人組をはずして村方の付合いを禁じ、また過料は軽ければ銀10匁、重ければ20匁を出させ、再犯に及べば領主へ届けて村追放にするとしている。
否撮資料は諸色付込帳など主に明治期の長帳類が26点、近世末から明治期の借用証が75点。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.466-470 4点、通史編3 P.320-321、通史編4 P.519
県史以外の収載
『大野市史』
複製本番号
I1049~I1051
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。