山崎吉左衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0103
資料群名
山崎吉左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡巣原村,西谷村巣原,大野市巣原(廃村)
資料の年代
1598年(慶長3)~1875年(明治8)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
巣原村は、真名川上流、雲川の谷あいに立地し、村高5石余はすべて畑方であり、焼畑・楮栽培・紙漉なども行われていた典型的な山村である。1624年(寛永1)に福井藩領から木本藩領になり、以後86年(貞享3)幕府領、92年(元禄5)郡上藩領となる。雲川の下流中島村に至る渓谷は険しく、村の西の巣原峠を越えて今立郡池田郷との繋がりが深い。由緒書のある誠徳寺は池田町水海にある。村は、雲川右岸の羽付・奥巣原と左岸上野に分れ、1867年(慶応3)の越濃国境経験略図(松平文庫)には「羽付家数四・五軒、奥須原家数廿五・六軒、上野家数十一軒」とあるが、1965年(昭和40)9月の集中豪雨の被害を契機に翌年全戸離村し、無住地となった。
山崎家は吉左衛門を名乗り当村の庄屋役などを務めた。
資料群の概要
撮影資料約50点のうち約30点が借用証文類。当村の検地帳の他、平沢地頭の検地帳写や、熊河村・温見村の明細帳と年貢免状および熊河村との山論関係文書に特色がある。熊河・温見の両村は同じく雲川上流にあって、巣原とともに「奥池田三村」ともいわれるが、1686年以降幕府領であった。このため、郡上領である巣原村との嘉永年間(1848-1854)の山論が幕府の裁許を仰ぐこととなり、これらの資料がこの山論の関係資料として残ったと考えられる。
当村の検地帳の末尾には山境が定められており、当村の焼畑ができる範囲を示したものといわれる。また、温見村年貢免状には小物成として金山運上永1貫文があげられており、往時数百戸が居住したが鉱毒流出のため廃山になったと伝える温見金山との関係が注目されるなど、資料の少ない当地域にあって、よく利用される資料である。
否撮資料は明治期の借用証と撮影した誠徳寺由緒書の写しの2点のみ。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.471-473 3点、通史編4 P.363
県史以外の収載
『西谷村誌』『真名川流域の民俗』
複製本番号
I0910~I0911
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。