安川与三右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0100
資料群名
安川与三右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野木本原(堀切野新田,大野町篠座,大野市篠座(二軒新田)
資料の年代
1658年(万治1)~1904年(明治37)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
通称二軒新田(篠座地籍)は、大野町の南方、清滝川がつくる扇状地の扇央、木本新田村の北西に位置し、近世には大野町に属していた。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)大野藩領となった。
この付近はもとは「堀切野」と呼ばれた原野で、1658年(万治1)より当家によって新田開発が行われた。
資料群の概要
撮影資料は、(1)新田開発、(2)隣村の上舌村との争論、(3)借用証文、隠居証文などである。
(1)1659年(万治2)の開田絵図では、開発の範囲が示され、裏書きには、この開発を認めるとともに年貢米20俵を納めること、諸役を免除することが記されている。同年の大野藩主松平直富(直良)の新田免許状も残されている。
(2)には、1786年(天明6)の高請戻しに関わる争論、93年(寛政5)の山境争論の願書がある。
(3)後年の新田開発の経過が明らかになる資料はないが、1721年(享保6)の「大野町新田反別帳」から(資料編7、土井家文書)では田方1町6反余、畑方2町8反余、計4町5反余が開発されていたことがわかる。ただし同帳では「西市村四郎兵衛」と「大野二番町喜兵衛」が地主として署名・押印しており、当家文書にも15年(正徳5)の「鹿内喜兵衛」「西市村四郎兵衛」からの借用証文があり、この時期新田の権利はこれらの人物に移っていたと考えられる。
1751年(寛延4)、63年(宝暦13)の隠居証文、1838年(天保9)の別家をたてるにあたって、別家には諸役免除の特権は与られないことを確認した一札が残されている。
否撮カードは3点で1876年(明治9)田地売渡証、幕府触書2点である。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.464-465 2点 通史編3 P.178
県史以外の収載
『大野市史』
複製本番号
I0904
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。