野尻喜平治家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0076
資料群名
野尻喜平治家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡横枕村,下庄村横枕,大野市横枕
資料の年代
1573年(天正1)~1912年(大正1)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
横枕村は真名川と清滝川に挟まれた村で、村高は正保郷帳で631石余、天保郷帳で788石余である。この増加分の157石余は、松平氏大野藩時代からみられる。1671年(寛文11)の物成皆済目録には、出分として127石余(うち引高13石余)があり、土井氏入封後も少しずつ増え157石余となり、天保郷帳では本高631石余と合わせて788石余となった。ただし、川欠等による引高も多く、1855年(安政2)には本高分のうち159石余、出分改出分のうち45石の合わせて204石余が引高となっている。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)松平氏大野藩領、82年(天和2)以降土井氏大野藩領となる。
野尻家は喜平治(次)と称し、早くから当村の庄屋などの村役人を、明治期には副戸長などを務めた。当村の野尻源右衛門家の分家筋にあたる。1671年の当家持高は、本高60石余と出分5石余の合わせて65石余である。なお、源右衛門家は本高320石余、出分74石の合わせて395石余である(「物成庭帳」)。
2009年8月、当館へ寄贈。2010年12月、40点追加寄贈。
資料群の概要
中世文書の金森長近制札は写である。
近世文書は、(1)貢租、(2)売券・借用証文類、(3)用水出入、(4)入会山出入、(5)川除関係、(6)三業惑乱関係、(7)頼母子講関係、(8)大野長勝寺関係、などに分けられる。
(1)は、松平直良時代から土井氏時代の免状・皆済目録や庭帳である。直良時代のものに1671年(寛文11)と72年のほかに、年未詳の5点の皆済目録がある。この5点はいずれも未正月25日付で山田弥右衛門から出されたものである。このうち子年の目録中には「沢木取立」の記述がある。この沢木は寛文期前後の代官沢木次郎右衛門(通史編3 182頁)と考えられること、さらに夫米が15.0674石であること(1671年の夫米は14.911石、82年の夫米は14.762石)からみて、子年は1671年以前と推定される。また、山田弥右衛門について「慶安三寅皆済状 未正月廿五日 山田弥右衛門」(東遅羽区有文書、『勝山市史』資料篇第三巻)とみえることから、この未年は1655年(明暦1)もしくは67年(寛文7)ではないかと考えられる。
(3)は、新在家村・横枕村2か村用水江筋にあたる堂本村への代替地や江料米に関するもの、2か村用水の雑用賄負担をめぐる出入、2か村用水からの堂本村貰い水関係、普請絵図などがある。
(4)は、堂本・横枕・新在家3か村と下荒井村との間の入会山参剥山出入である。(8)については、資料の伝来の経緯が不明。当家は、五人組帳によると、大野町四番町の勝授寺門徒(西派)である。長勝寺は大野五番町にあり、勝授寺同様西派の寺院である。当家資料中に、「当町(大野町) 三国勝授寺看房」とあることから大野勝授寺は三国勝授寺と関係があるようである。なお、現在大野勝授寺はない。
明治期の資料には、(1)用留類、(2)租税・地租改正関係、(3)学校関係、(4)病院関係、(5)宗教騒動関係、(6)堤防工事関係、(7)村費・村会関係などがある。
否撮資料は、江戸期の長帳類で、年貢庭帳・勘定帳、郷盛・村盛、川除帳などである。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.350-360 12点、通史編3 P.385
県史以外の収載
『大野市史』
複製本番号
I0705~I0718、I1545~I1556、I1742~I1773、I1938~I1945、I1988~I1990
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
文書館に事前にお問い合わせください。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。