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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0075
資料群名
野尻源右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡横枕村,下庄村横枕,大野市横枕
資料の年代
1564年(永禄7)~1879年(明治12)
資料目録件数
235
組織歴および履歴
横枕村は大野盆地北部、真名川左岸に位置する。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)以降大野藩領であった。村高は正保郷帳では631石余、天保郷帳で788石余となった。
野尻家は1644年(寛永21)で持高が533石、うち327石余が諸役免許となっており(「松平直良重臣諸役免許状」)、大野盆地屈指の豪農であった。当家の系図では1582年(天正10)加賀国から移住して横枕村に土着したという。代々源右衛門を名乗り、1732年(享保17)の大野藩の大庄屋制の採用と同時に大庄屋に任命されている(『大野市史』)。
野尻家は1644年(寛永21)で持高が533石、うち327石余が諸役免許となっており(「松平直良重臣諸役免許状」)、大野盆地屈指の豪農であった。当家の系図では1582年(天正10)加賀国から移住して横枕村に土着したという。代々源右衛門を名乗り、1732年(享保17)の大野藩の大庄屋制の採用と同時に大庄屋に任命されている(『大野市史』)。
資料群の概要
撮影資料235点のうち、(1)中世文書では、1564年(永禄7)朝倉義景が景鏡・景隆を大将として加賀に侵攻した時の合戦の感状がある(宛名の筒井小七郎と当家の関係は未詳)。
(2)諸用留が38冊におよび、年間を通して村内や地域の諸事が記され、村関係や農業経営に関する記述が多い。このほか弘化期の真名川川原争論用留、宝暦期の東大月村の越石おろし作についての用留がある。
なかでも源右衛門義秀が記録したものが、1837年(天保8)から79年(明治12)まで29冊をかぞえ、幕末の激動期の大野藩の動向、全国的な政治的事件、地域社会の変容を深い洞察によって記述しており興味深い内容である。
(3)これ以外の村方文書として、新在家村・堂本村・下荒井村との山争論、真名川の川原にあった秣場をめぐる、土布子村や下麻生村・川島村との争論などの願書類がある。
(4)私家文書としては、全体的な農業経営を把握できる資料は少ないが、1747年(延享4)の小作米覚帳がある。請作証文、借銀証文は100点ほど残されている。
否撮カードは64点で、明治期を中心に地租改正関係の帳簿類、田畑絵図40点、1876年(明治9)の小作おろし帳控、1884年(明治17)の小作取立帳などである。
(2)諸用留が38冊におよび、年間を通して村内や地域の諸事が記され、村関係や農業経営に関する記述が多い。このほか弘化期の真名川川原争論用留、宝暦期の東大月村の越石おろし作についての用留がある。
なかでも源右衛門義秀が記録したものが、1837年(天保8)から79年(明治12)まで29冊をかぞえ、幕末の激動期の大野藩の動向、全国的な政治的事件、地域社会の変容を深い洞察によって記述しており興味深い内容である。
(3)これ以外の村方文書として、新在家村・堂本村・下荒井村との山争論、真名川の川原にあった秣場をめぐる、土布子村や下麻生村・川島村との争論などの願書類がある。
(4)私家文書としては、全体的な農業経営を把握できる資料は少ないが、1747年(延享4)の小作米覚帳がある。請作証文、借銀証文は100点ほど残されている。
否撮カードは64点で、明治期を中心に地租改正関係の帳簿類、田畑絵図40点、1876年(明治9)の小作おろし帳控、1884年(明治17)の小作取立帳などである。
県史収載
資料編7 P.361-370 3点、資料編10 P.10・P.11・P.64 5点、通史編3 P.761・P.764、通史編4 P.190・P.691・P.693・P.749・P.750・P.760・P.817・P.820・P.827?829・P.832・P.851・P.873、通史編5 P.54・P.77・P.220・P.224・P.235・P.238・P.251
県史以外の収載
『大野市史』、横井美里「幕末期における豪農の意識形成-越前国大野郡横枕村野尻源右衛門家の「諸用留」を中心に-」
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
 
利用上の注記(二次利用)
 
利用条件(文書館)
 
複製本番号
I0668-I0687
関連資料一覧
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