伊藤三郎左衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0058
資料群名
伊藤三郎左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡御領村,阪谷村御領,大野市御領
資料の年代
1600年(慶長5)~1903年(明治36)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
御領村は、大野盆地の東部、経ケ岳の溶岩堆積地のほぼ中央部に位置する。村高は168石余。はじめ福井藩領、1624年(寛永1)木本藩領、35年(同12)藩主松平直良の勝山転封のとき割郷となる。すなわち、27石余は幕府領福井藩預地から37年(同14)福井藩領となり、残る141石余は勝山藩領から44年(正保1)直良の大野転封により幕府領福井藩預地となった。ついで86年(貞享3)福井藩の半知によりすべてが幕府領となるが、91年(元禄4)27石余が小笠原氏勝山藩領となり再び割郷となり、さらに翌年残りの141石余が美濃国郡上藩領となって幕末に至った。
伊藤家は土豪の系譜を引くと伝えられ、江戸時代には庄屋役など村役を務めた。
明治期には、第六八大区副戸長(1872年)、第二八大区小六区戸長(73年)を務めた。さらに伊藤惇(1854-1903)は、阪谷村・五箇村組合村長(92-94年)、大野郡会議員(91-98年)、県会議員(85-1902年、5選)等を歴任し、1902年(明治35)8月には衆議院議員に当選、03年5月現職中に亡くなっている。
2010年12月、当館に寄贈。
資料群の概要
内容は土地・年貢・山論・用水・鉱山・宗教・売券・家関係などと多岐にわたる。とくに近世初期のものに良質の文書が多く、また割郷であったことにより年貢や争論資料にも特色がみられる。
1600年(慶長5)「(譲与田畠書置)」は百姓の残した家訓では最も早い例である。
また1632年(寛永9)「堂嶋金山運上銀万算用目録」・34年「堂嶋金山運上銀等皆済状」は福井藩が経営した堂嶋金山の運上金実額がわかる資料であり、また77年(延宝5)「(銅山鉱毒ニ付訴状)」にはこの年開発された御領村弥四郎谷銅山による鉱毒問題が、面谷銅山(和泉村)や北袋銀山(勝山市)の例と共に論じられており、近世における鉱毒問題の資料として注目される。
このほかこの地方に多くみられた隠居料「茶代」の渡証文である1705年(宝永2)「相定申母茶之代証文之事」などもある。
県史編さん時に撮影した343点のうち近代資料は、1903年(明治36)「総勘定帳」(衆議院議員伊藤淳の資産負債帳)のみであった。その後文書館へ寄贈された940点には、県史編さん時撮影資料のほぼすべて(00150欠)と、近代資料が320点ほど含まれている。
この内容としては、伊藤惇が衆議院議員となる前々年1900年(明治33)から03年にかけての記録(「年賀扣」「日記」「記臆簿」等)が6冊あるほか、家族の賞状・卒業証書約40点、借用証文・土地売買契約書類約140点、明治半ば以降の大野中学校、愛国婦人会、阪谷養蚕組合等の集合写真、家族写真約80点などである。
近代資料のうち、地租改正時の御領村の丈量野取帳等・地籍図、小作取立簿・金穀勘定帳など伊藤家の地主経営関係帳簿は否撮資料である。
また康煕字典・史記評林・太平記・日本外史等の漢籍・和書等の蔵書約270冊も、撮影されていない。
利用条件
 
県史収載
資料編7 P.4-23 23点、通史編3 P.176 P.178 P.189 P.199 P.280、通史編4 P.200 P.327 P.329 P.337 P.350
県史以外の収載
『大野市史』、山田雄造「近世の隠居制について」『福井県史研究』16
複製本番号
I1946~I1960
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
文書館に事前にお問い合わせください。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。