丸山与助家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0056
資料群名
丸山与助家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡六呂師村,阪谷村南六呂師,大野市南六呂師
資料の年代
1671年(寛文11)~1875年(明治8)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
六呂師村は九頭竜川右岸、六呂師高原の南に位置し、中央を宿谷川が貫流する。はじめ福井藩領で、1624年(寛永1)勝山藩領、44年(正保1)幕府領福井藩預かり地、86年(貞享3)幕府領、91年(元禄4)再び勝山藩領となった。村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」ではともに395石余、93年(元禄6)頃からの新田開発により「天保郷帳」では631石余となった。勝山藩領時の年貢率は4つ2分、1822年(文政5)の家数130、人数555。
丸山家は与助あるいは与兵衛と称し、村役人を務めた。
資料群の概要
当家の文書は3点のみ近代文書で、残りはすべて近世文書である。近世文書は(1)山論関係、(2)庄屋文書、(3)私家文書、(4)その他、に大別される。
(1)は六呂師村と大矢谷村(村内に六呂師村へのおろし地があった)・平泉寺村(与助が山番を請け負っていた)・松丸村などとの争論が中心で、松村利章家の資料と合わせて参照されたい。
(2)は平泉寺村からの年貢通、回達状や配符など(御用金や春秋の山の口開けの期日通達などが中心)が主たる内容である。
(3)は売券や借用証文などである。
(4)は大矢谷村内の簑輪検地帳などである。
近代文書は敦賀県令からの通達(旧暦の使用禁止・キリスト教禁止・学校での洋学教授など)の請書・松丸村との山論見込書・入用覚である。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
『大野市史』
複製本番号
I0506~I0507
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。