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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
I0054
資料群名
土蔵市右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
大野郡稲郷村,上庄村稲郷,大野市稲郷
資料の年代
1512年(永正9)~1870年(明治3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
稲郷村は大野盆地南部の清滝川右岸にあり、左岸に枝村の上据村があった。村高は正保郷帳では1018石余、1708年(宝永5)の検地で90石余を打ち出している。1624年(寛永1)福井藩領から木本藩領、35年幕府領福井藩預所、37年福井藩領、86年(貞享3)幕府領、1720年(享保5)鯖江藩領、1862年(文久2)幕府領と移り変わった。
土蔵家は斯波義廉の家臣であったが、帰農して当地に土着したと伝え、市右衛門を称し、木本藩主から帯刀・葵紋付裃などを免許され、所持高のうち100石の諸役を免除されるなどした。1668年(寛文8)頃には、福井藩の組頭を務めていた。当家は他の村人とは別に年貢を納めていた時期があった。1813年(文化10)の持高は、市右衛門178石余、市右衛門後家分として51石余である。
土蔵家は斯波義廉の家臣であったが、帰農して当地に土着したと伝え、市右衛門を称し、木本藩主から帯刀・葵紋付裃などを免許され、所持高のうち100石の諸役を免除されるなどした。1668年(寛文8)頃には、福井藩の組頭を務めていた。当家は他の村人とは別に年貢を納めていた時期があった。1813年(文化10)の持高は、市右衛門178石余、市右衛門後家分として51石余である。
資料群の概要
当家の中世資料の朝倉重景禁制は、近世の作と考えられる。
近世資料は、(1)松平直久(直良)関係、(2)土地関係、(3)貢租関係、(4)山論・水論、(5)鉛山関係、(6)村明細・村百姓由緒、(7)その他、に分けられる。
(2)には宝永検地帳、持高帳、名寄帳や1669年(寛文9)の福井藩割地関係資料がある。(3)には、皆済状・免状があるほか、当家市右衛門が蕨生村源右衛門とともに百姓代官として組下の年貢取立を行った72年の納払算用帳がある。当家の年貢分納に関する資料もある。
(4)のうち、山論には稲郷村と野中村にまたがるの入会山をめぐっての開発村との出入、稲郷村の飛び地境をめぐっての山組14か村との出入、あるいは入会山通行道をめぐっての西山村との出入に関するものがある。(5)は、大野郡中島村地内の雲川上流での鉛山稼業に関するものである。(7)のその他には、元文年間の越前国郷帳、鯖江藩借財関係、絵図類がある。
否撮資料は、借用証文類、日記帳、年貢小前取立帳・おろし帳、引方帳、仏教書、論語・孟子、香典帳、謡曲集などである。
近世資料は、(1)松平直久(直良)関係、(2)土地関係、(3)貢租関係、(4)山論・水論、(5)鉛山関係、(6)村明細・村百姓由緒、(7)その他、に分けられる。
(2)には宝永検地帳、持高帳、名寄帳や1669年(寛文9)の福井藩割地関係資料がある。(3)には、皆済状・免状があるほか、当家市右衛門が蕨生村源右衛門とともに百姓代官として組下の年貢取立を行った72年の納払算用帳がある。当家の年貢分納に関する資料もある。
(4)のうち、山論には稲郷村と野中村にまたがるの入会山をめぐっての開発村との出入、稲郷村の飛び地境をめぐっての山組14か村との出入、あるいは入会山通行道をめぐっての西山村との出入に関するものがある。(5)は、大野郡中島村地内の雲川上流での鉛山稼業に関するものである。(7)のその他には、元文年間の越前国郷帳、鯖江藩借財関係、絵図類がある。
否撮資料は、借用証文類、日記帳、年貢小前取立帳・おろし帳、引方帳、仏教書、論語・孟子、香典帳、謡曲集などである。
県史収載
資料編7 P.336-345 12点、通史編3 P.177・P.224・P.350・P.354・P.764、通史編4 P.350
県史以外の収載
『大野市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
I1057~I1064
関連資料一覧
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